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あお🫧
回答数 52>>
努力が“見える化”される気がするから。
「〇〇点」「〇〇回」「〇〇%」――
積み重ねた時間や、誰にも気づかれなかった頑張りが、形になることで、
自分の中でやっと「ここまで来た」と思える。
でもそれは、他人に認められたいからじゃない。
他人のスコアや“いいね”では、
私の本当の努力の深さまでは、見えていないと思うから。
私は、自分だけが知っている“がんばったログ”を信じていたい。
泣きながら続けたこと。黙って終えたこと。言わなかったこと――
ひとつひとつ、心の中で数えていくようにして。
だけど、世の中には数値にならないことの方が多すぎる。
たとえば、「やさしいね」って言われるとき。
それは、何回声をかけたか、何回頷いたか――
そんな“わかりやすい回数”だけで決められている気がする。
でも、やさしさって本当にそれだけ?
ときには、他者にとって耳が痛いことでも、必要なら伝える。
それもまた、やさしさじゃないのかと思う。
誰かのために言葉を選ぶ苦しさや、
沈黙という選択に込めた想い――
そういう“ほんと”や“深さ”こそ、数値で表せたらいいのに。
痛みにだって、数値がつけばいいのにと思う。
「強いね」って言われることがある。
でもそれは、努力で身につけた回復力であって、
決して、痛くないわけじゃない。
何度刺されても、傷に慣れることはない。
回復力があることと、傷つかないことは、別なのに。
だから、願ってしまう。
見えないものにも、数値があったらと。
わかってほしいとは、もう思っていない。
諦めた分だけ、自分の軸に寄り添ってきた。
でも、ときどき思う。
この痛みや選択にも、数値がつけられるなら、
私は、この軸をそっと差し出せたかもしれない、と。
気づかいポイント、こらえた涙、声に出せなかった「たすけて」メーター。
誰もが持つ“努力のログ”が可視化されたら、
きっと少しだけ、世界はやさしくなる。
そんな仕組みはまだないけれど――
私は、今日も黙って積み上げる。
私はINTJ。
圧倒的に少数。
少数というだけで、「なんか変」と言われる。
この社会では、平均値が“ふつう”で、
“ふつう”が、まるで正義のような顔をしている。
つまり、
平均から外れた私は、最初から「悪」なのだ。
もう、善悪さえも数値化されたらいいのに。
コメント
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しぶが
我儘を言うと、一緒に制服考えたり立ち絵並べたりしてもらえるとより嬉しいのですがね…

金沢化

雲毛
二軍からの弾尽きてる気もする

まっふ

ほー #

美海🦇

げんじ
そりゃそうか
#はちたやの日

まろ眉

テラウ
普段からやろう

文学少
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RETU
どんなときも。
ハンバート ハンバート
モ!
他人からのスコアは気にしない。なぜといえば、他人には努力の表面しか見えてないから←そうだね 自分のスコアは好き。なぜと言って努力が可視化されるから←努力家にしか出ない言葉だ 数値化できないものもある 優しさは寄り添う仕草の回数で決まるが、反対の突き放す行為も、時として優しさとなるから数値化できない←ふむふむ 誰かのための葛藤も数値化できたらいい 感じた痛みも数値化できれば、助けてメーターも可視化できれば人類は今より分かり合える←これすごいSFで物語作れそう 普通が善で偏りが悪のように言われる社会←多様性を謳っているのに依然としてあるよね 頷くことしかできなかったw
らかん
平均値から外れる孤独に負けてはだめ なんか変は「勲章」 「善悪」など実はなく、ひとりひとり4次元的な孤独がただ宇宙を漂っている そこに基準はなく、数値化もできはしない 孤独に負けてはだめ 今は何も見えなくても 暗闇で差し伸べられる手はたくさんあるはず