人間ってなぜ生きてるの?
個々それぞれには生きる理由はあると思いますが、生物全体の「人」とは、なぜ生きているのでしょうか?(なぜ存在しているのでしょうか?)

HヒM厶
そうだな、これは役割・分類という観点から私なりの考察をさせていただきます。所詮は高校生の一コメントなんで、無視していただいて結構です
まず。話は変わりますが、
とあるYouTubeで載ってました。戦争時に自殺率は急激な減少を示したそうです。その原因として2つ。戦争により国家間の結び付きが強まったということ。もうひとつは仕事が増えたからです。
また、家族や宗教を信仰している人は自殺率が低い傾向がある。
ここに共通して見られるのは 役割
戦争時。 分かりやすく言えば兵隊としての役割がある。 だからこそ、役割を与えられるとその使命に応える。家族がいるなら、家族の中での役割。
立ち位置がある。宗教に至っては、神と信者。
役割は、使命を与えるんです。神は人間に命を与えてくれるという宗教的価値観はありますが、その通りかもしれませんね。信者という役割であり、信仰という使命を与えたのだから。
使命・役割をなくすと生きる意味を無くしたり見いだせなくなり、死んでしまうのかもしれません。
突然ですが、役割って具体的にどんなものなのでしょうか? 僕はこれを釘と紐のようなものだと捉えました。
僕は高校生で、自分のクラスがあり。まぁ家族がいます。
クラスは何故クラスなのか?
先生がいて生徒がいれば、クラスなのでしょうか?
教室や設備はあくまでも、クラスを構成してる円みたいなものです。クラスの本質は先生と生徒だと思う。
ある意味、僕はその輪の中にいます。しかし、生徒ひとりが居なくなろうと、代わりの生徒がいれば、形は変われども輪は無くならない。それが元の輪と言えるかどうかは別問題として。
この話で行けば、クラスという輪は紐だ。
そして先生及び生徒は釘だ。
この時に先生1本 生徒1本
なぜ生徒が1本なのか。これは、役職で見た時に1本である。しかし、その1本の釘は時として多数の釘で作られている場合がある。これはおそらく万物に言える。その場合いちばん小さい釘は何かを考えれば原子レベルにたどり着き、いちばん大きな釘を考えれば宇宙レベル・概念レベルに到達する。
お気づきだろうが釘すら輪であり。輪すら釘である。そして輪を構成してる釘が少なければ少ないほど釘の価値・役割は重くなる。
おそらく万物においてこれは言える。
続けますPart1


tetsu
GALVON
知恵を得て、そこにその様な疑問が生まれました。
つまり、その疑問は後付けです。

ようたん
大いに学び、この世を生きて、自分の答えみつけられたらいいね!

もちも

Yasuba

たむい
この世からの離脱である、解脱の達成。
未来の存在が過去に影響するとの発想は飛躍しすぎてるなとは自認はしてます。
今の私の意識には無意識部分にアクセスできないですからね。無意識は時空を超えて共有されており、この無意識の蓄積が人類の進歩に役立つかもと妄想しています。

若
人類もまた生命の循環の一部ということではないかと思います。

なぎ
つまりただの結果論
究極的には無意味です

かずくん
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