私は、「これしてるとき自分の機嫌がいいな〜」「これしてる間は調子悪くなりにくいな〜」とかで、その行動が好きかどうか判断してます。自分の頭の中がよく見えなかったら、まずは目に見えるもの(時間、体が積極的に動くか、など)を観察していくと、新しく気づくこともあるかもしれません。
そもそも「本当に好き」である必要、って、どれくらいあるのかしら?感情を理性でコントロールしようとする癖が染み付いているのかもしれませんね。「好き」は感情です。それを「本当に好きかどうか?」理性に判断させているんだと思います。おそらく実利を重んじる性格なのでは無いでしょうか?わたしごときがやってもムダ。私なんかが好きになっていいものじゃ無い。そう判断して、深く入り込む前に辞めちゃうのが、仰られている「諦め癖」なのかも知れませんね。推測ですが、感情を表現してはいけない。という制限下にあって、これまで感情を抑制し続けてきたのでは無いでしょうか?専門医をお尋ねされることをお勧めします。インナーチャイルドを癒されることを強くお勧めします。CBTや、EFTといった専門的なアプローチが効果的かと思われます。
紙なり電子なりに文字化して書き出す。おそらく自分の本心が理解できないというのは病んでいる証拠。しかし感覚は残っているはずです。やりたい、やりたくない、その感覚に従ってやりたいことは進んでやる、やりたくないことはやめて休息を取る。その中で感じたことを書いてください。「今は自分の気持ちが分からない」っていうことを書いてもあり。刺激を与えて「やりたくないことをやったら意外とできた」という風に未来では書いてるかもしれないし、適応障害でもなくただダルいなという感じでやりたくない感覚が働いているのであれば、それが本当はやりたいことだったのであればやってみれば意外とできます。適応障害なら原因からとことん避けましょう。相当鬱なら時薬を待つのみ。人と話して新鮮な体験をするのもあり。未来のあなたは過去の自分が鬱やストレスによって本心を封じ込めていたことを知ると思います。それまではゆっくり焦らず、時の流れに身を任せて、今の感覚を文字に残してみましょう。おそらく未来では過去の自分と会話していることでしょう。そうして徐々に本心が文字化できるようになれば、より自分を大事にして生きていけます。ちなみに対象によって興味がないということもあります。何も思わない、それもまた自分。