神様の存在に迷ってる人からの質問
神様に近づいて祈ったり、神様の命令をしたり、良いことをしたかったり、悪いことをしたくなかったりするのに、何故そういう人が犯罪をする人より人生を苦しんでるの?神様がそういう人を助けに行かないの?神様がそういう人が嫌いの?神様がそんなに残酷なの?それとも神様がどこでもいないの?

夏目
居るか居ないかで言ったら、居ないです。
在るか無いかで言ったら、神社や神殿があるので、神様の住処は在ります。
祈ったのに神様がお願いを叶えてくれないなんて、そんなのは人間相手に頼み事をしたのに断られた!と同じような話です。
私は歴史好きなので神社も、日本や北欧やギリシャの多種多様な神様も興味深くて好きですね。

celestar
神の救いや罰を期待するのは奴隷道徳で
ルサンチマンだと思う
悪人に罰が下れば喜び、自分は善い存在だと認識する
自分に神の救いがあれば自分の日頃の善行を見てくれたと喜ぶ
これらは自分を慰める為の偽善だ
本当に善い人は神の視線なんて気にせず
幸福を自分で手繰り寄せたと自信を持って
他人の不幸にも自分事のように悲しみ
罪を犯してしまった人にも手を差し伸べて
善い道へと一緒に歩ける人なのでは
主人道徳つまり自分が神なって自分に責任を持って必死になっていれば
他人の不幸を願っている暇なんてないと思う
神という都合のいい存在を作って楽になるな

jwB
何故神様が見守るのか
それは縄文時代実は世界を神様が統治していた
それが厳しかった それで人間は争いのない
世界を作るので神様は見守って下さいと
それなら作ってみなさいと去った
それから人間は争いを始め 土地の奪い合い
資源の取り合いを始めた
だから神様は見守るだけ 世界平和を作るの言ったのは人間 次の世界は神様が作る可能性があります それが弥勒の世

ラッコ🦦

SATCIMO
神様を信じるなら手を差し伸べてくれる確率は全宇宙分の一やからそれに当たるように祈れば良い

サト
もし神様がいるとしたら
分け隔てなく手を差し伸べる存在という訳では無い
と思う
結局自分を助けるのは「自分」で
それを手伝うのは「人」だから
その巡り合わせ程度なら因果律操作はあるかもだけど
人間にそれを知覚するすべもないし
犯罪云々は因果応報じゃないかな
それなりに隠れて暮らす必要もあったり
捕まるリスクとかもあるし
本人がそれを自覚できるかは別として

ノゾ
責任を負う人が、家族や従業員や自分を頼ってくる人たちを守る善のために不正に手を染める。
善の基準が法の定めとずれている人が、例えば教義や主義や思想に基づき法に背く。
ある人は、貧困等の苦痛や、理性をちゃんと保持できないような病や、教育の歪みから、(厳密な意味で)非自発的に、自分が快適に生き延びるという善を果たすべく非行に走る。
彼らにしてみれば、社会の善が家族を守ってくれず、社会の多数が悪で、法が自分の生存に非協力的であったり、そもそも法や習慣が理解できなかったりして、苦しんでいる。
神様はどれか一つの善を依怙贔屓しない。
公平に、いろんな善のうちより善いものが勝ち抜き、生き延びるような、システムを作った。
自分と異なる善を悪だと指差してその繁栄を嘆くなど無意味で、そんな暇があるなら自分が自分の善を為すことだけ考えればいい。

ナトル
仏教の場合だと苦労も不幸も人生の試練です カルマのルールに従い あなたはその苦労をしたのは前世の時にやり残した課題があるのです だから頑張って 今の人生でクリアしてみてください 数々の試練をクリアしていったらば いずれ 極楽浄土に着きますよ
的なしそうだと思います
儒教
人生 理不尽 や苦労や不幸はあるもの それを乗り越えて 楽しんだり 世渡り上手になるのが今生きている 私たちに対しての宿題です これを超えてどんな苦痛も気にならないくらいになったらば それが道なのです みたいな考え方
多宗教文化の場合 神様もいろんな苦労したしいろんな試練を乗り越えたしいろんな不幸を乗り越えた 君たちも 神様もできたんだから 君たちもできるよ 的な考え方
かなと 私を見ています

灯火のまにまに
私の考えでは神は、いるかもしれないし、居てもいる確証が取れないので、考えないことにしてます。
私は、赤ちゃんで死ぬ命や、犯罪者が裁かれずにいる世界は、不平等すぎて納得できないので、仏教やイスラム教、ヒンドゥー教やスピリチュアリズムの輪廻転生、カルマの法則を信じています。

白菜練太郎
神と呼んだり
如来と呼んだり
妙法蓮華経と呼んだり
してるものの表現のひとつでしかないような。
ただ、扱いが異なる。
大多数の宗教は頼るもの、
運命を与えるものとしている。
そうでないのは仏教の一部かもしれない。
それらは、不生不滅・無始無終として常住の法則としている。
この法則は、
仲良くしているところに繁栄があり、
仲良くしているところに騙して入り込み奪おうとする敵があらわれ、
敵に負ければ絶滅し、
敵をだし抜こうとするモノだけが生き残るという
厳格な法則。
いわゆる三方良し、Win-Winのこと。
原子同士が仲良くすれば分子になり、
分子同士が仲良くすれば有機物になり、
有機物同士が仲良くすれば分子機械が生まれ、
分子機械同士が仲良くすれば生命になる。
当然、エネルギーを奪おうとする敵もあらわれる。
八百万の神々はWin-Winの関係を希う人々に入り込む神々なのでしょう。
あるといえばあるし、
いるといえばいる。
このようなモノだと思います。
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