神様の存在に迷ってる人からの質問
神様に近づいて祈ったり、神様の命令をしたり、良いことをしたかったり、悪いことをしたくなかったりするのに、何故そういう人が犯罪をする人より人生を苦しんでるの?神様がそういう人を助けに行かないの?神様がそういう人が嫌いの?神様がそんなに残酷なの?それとも神様がどこでもいないの?

なやめるちゃん

SATCIMO
神様を信じるなら手を差し伸べてくれる確率は全宇宙分の一やからそれに当たるように祈れば良い

あい

celestar
神の救いや罰を期待するのは奴隷道徳で
ルサンチマンだと思う
悪人に罰が下れば喜び、自分は善い存在だと認識する
自分に神の救いがあれば自分の日頃の善行を見てくれたと喜ぶ
これらは自分を慰める為の偽善だ
本当に善い人は神の視線なんて気にせず
幸福を自分で手繰り寄せたと自信を持って
他人の不幸にも自分事のように悲しみ
罪を犯してしまった人にも手を差し伸べて
善い道へと一緒に歩ける人なのでは
主人道徳つまり自分が神なって自分に責任を持って必死になっていれば
他人の不幸を願っている暇なんてないと思う
神という都合のいい存在を作って楽になるな

風の音
言い換えると、おかさない人たちは自制をしている人たちです。
↓
自らの願望や欲望に制限をかけるのはストレスですので苦しみが犯罪者より多いのは必然ですよね…
次に、神についてですが
自分の努力や環境では解決できないことや、自分の知識などでは説明・理解できない事象に対して、人は「神の存在」「神頼み」などの感情が生じます。
例えば、「宝くじが当たりますように」と毎年願う人がいますが、年収何億も稼ぐ人はその願いを神には頼みません。
↓
このように、「自分ではどうにもできないから神に頼るため、存在しないのです」

H.I

ラッコ🦦

えるえふ(↵)
というか信賞必罰や勧善懲悪とかの舞台装置じゃないからね、神様。

白菜練太郎
神と呼んだり
如来と呼んだり
妙法蓮華経と呼んだり
してるものの表現のひとつでしかないような。
ただ、扱いが異なる。
大多数の宗教は頼るもの、
運命を与えるものとしている。
そうでないのは仏教の一部かもしれない。
それらは、不生不滅・無始無終として常住の法則としている。
この法則は、
仲良くしているところに繁栄があり、
仲良くしているところに騙して入り込み奪おうとする敵があらわれ、
敵に負ければ絶滅し、
敵をだし抜こうとするモノだけが生き残るという
厳格な法則。
いわゆる三方良し、Win-Winのこと。
原子同士が仲良くすれば分子になり、
分子同士が仲良くすれば有機物になり、
有機物同士が仲良くすれば分子機械が生まれ、
分子機械同士が仲良くすれば生命になる。
当然、エネルギーを奪おうとする敵もあらわれる。
八百万の神々はWin-Winの関係を希う人々に入り込む神々なのでしょう。
あるといえばあるし、
いるといえばいる。
このようなモノだと思います。

のぼ
様々、関係に難を抱えている逸話があるくらい。
だから、自分が神だったら「どんな相手を望むか」を想像すればわかり易い。
助けて助けてと言い寄ってくる人を助けるか
救いを期待して打算的に善行を積む人を助けるか
悩み苦しむ人の成長を妨げるのか
おそらくヒントくらい
自分がどんな相手と心通わせたいか
そういった人物になった時、神は必要か。
居ても見守る以外、必要性がないんじゃないかな。
人間自身のために。
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