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『自分』とは記憶の連続性なのか、それとも今この瞬間の意識なのか?

10年前の自分と今の自分は、細胞も考え方も大きく変わっています。それでも同じ「私」だと言える根拠は何でしょうか。もし記憶をすべて失ったとしても、あなたはあなたでしょうか。
丁寧

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連続性が今この瞬間の意識に現れ続ける連鎖です
連鎖の重なりは「自分」に積まれていきます
哲学哲学
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すみれ

すみれ

時間の概念の違いかと思います。
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たれぱん

たれぱん

私の考えです。
今この瞬間の意識は「自分」です。
その瞬間が過去へ積み上がって記憶になります。これも「自分」ですが、過去の記憶なので、今の意識で過去は変わりません。

今この瞬間の意識が「自分」なので、10年前の細胞も過去の記憶も、今意識があるだけで、「自分」である根拠としては充分かなと思っています。

例えば、事故で足を失ったとしても「自分」です。事故で頭を強く打って記憶がなくなっても「自分」です。
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憂い顔の騎士

憂い顔の騎士

記憶の連続性に近いかな、世の中に絶対あるのは『自分』であり、それは絶対変わらないものであるから
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サト

サト

履歴かなと思う
過去の「私」がなければ今の「私」はいない

例えば極端な話
完全に過去の記憶を無くしたとして
「左手のこの傷はなんだろう」
記憶は無くしても
「左手にこの傷があるのが私」であり
傷があるなら「怪我をしたという過去」がある

全細胞が入れ替わったとして
過去の細胞があるから
「新しい細胞に入れ替わった」
という事実がある

ということかなとは思った
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世紀末覇者ラ王

世紀末覇者ラ王

過去があるから、現在の自分を「以前とは違う自分」として知ることができる。

もし記憶がすべて失われたなら、本人にとっては過去の自分との比較材料がなくなる。
だから「私は以前から続く同じ私だ」という自己認識上の同一性は、大きく失われる。

ただし、家族や友人、名前、記録、身体など、他者や社会から見た連続性は残る。
つまり、本人側の同一性と、関係性・社会側の同一性は別である。
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たくひら

たくひら

私はこの連続性は「約束」で成り立っていると思っています。この感覚になったのは20中盤ぐらいからだったとは思いますが。
私たちはまず、世界に産み落とされます。それは好むと好まざるとに関わらず、私たちは世界に晒されることになります。ただ、同時に私たちはそこから生まれ得る存在です。ですので、私たちはいつでも、それこそ本当に何時でも自分を始められます。
この時私たちは、どうやって私たちを始めることになるのでしょうか。それは例えば3年後5年後どうなっていたいかという感覚があるかもしれない。或いは後悔の末にここから変えていきたいと思うかもしれない。或いは今までの人生をそのまま穏やかに過ごしたいと思うかもしれない。これら全ては未来に対する眼差しです。つまり私たちが私たちを始める時、今の私たちが未来の私たちのために「約束」をしているのです。そして、日々どこかのタイミングでこの「約束」を思い出す時があると思います。この「約束」が強固であればあるほど、自分の連続性は強く保たれるのだと思います。
さらに「約束」は日々の行動に残滓として必ず残ります。自分が「こうなりたい」と未来に対して「約束」をする。結果、ほんの少しだけ「選択余地」が生まれる。言葉を選ぶ、歩き方を変える、人との接し方をほんの少しだけ変える。この連続が未来の自分への「約束」につながっていく。だから、もし仮にこの「約束」が強固であれば、記憶を失ってもどこかで過去の私が現在のそして未来の私に対して行った「約束」を見出すことが出来るはずです。なぜなら記憶を失った私でも、私である以上、その「約束の残滓」を拾い集めることが出来るはずだから。そう信じて、私は日々未来の私と「約束」し続けています。
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黒蜥蜴

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#グラちゃんねる で質問したよ!
回答を待っているよ!
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🎮💧

🎮💧

→記憶は保存できる
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まりまり

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記憶は連続性ではなく 消えたり思い出したり
そして 進んでいるのが 自分
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