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めちゃくちゃかわいいレッサーパンダが手を大きく広げて威嚇しています。この時、本質的対応をせよ!とした場合、怖がるとかわいいねぇのどちらが本質的対応でしょうか?

後期ヴィトゲンシュタイン/ブーバーの世界へようこそ ※今回は模範解答と採点基準が設けられております。どこかのタイミングでそれを公開します。また出来れば理由もお書きください。理由が加点対象となる場合がございます。たくさんの人に気軽に参加してもらえると嬉しいです。
むかで

むかで

「かわいいねぇ」として考えます。
人とレッサーパンダは固定されています。
更に、「めちゃくちゃかわいい」と「威嚇」。
人がレッサーパンダを「めちゃくちゃかわいい」と思える環境があった上で、「威嚇」しているのなら「動物園」等で人の安全が確保されている状況での「威嚇」でしょう。
更にぬいぐるみや映像等でかわいいものとして記憶に植え付けられている所もあるでしょう。
赤ちゃんが頬を膨らませて地団駄を踏んでる様なものです。

哲学哲学
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るぅ∞🐈‍⬛ ͗♪

るぅ∞🐈‍⬛ ͗♪

レッサーパンダ
威嚇してもおこってる理由忘れるらしいですよね♡
わたしも 威嚇する時
両手あげますね😊

ちなみにレッサーパンダの食べ方なんだけど

わたしと食べ方似てるねっていわれて

飲んでたお水ぷぅ〜ってしてしまいました[冷や汗]
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若

若

こちらも威嚇で応える‼️‼️
(「・ω・)「ガオー

『アクション&リアクション』で考えるなら、双方の行動でコミュニケーションを取れるかどうか?という選択のことでは無いかと思います。

本質ってそういう事じゃないですかねぇ~?🤔

まぁその場合、『怖がる』の方が、相手には伝わるので、前者の方が本質的対応と言えるのかも……?
(⁠ ⁠╹⁠▽⁠╹⁠ ⁠)?
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パン

パン

​怖がるでしょうね。必死に体を張って威嚇しているパンダに、かわいいは失礼かな。パンダの気持ちに立てば、怖がらせたい、という思いを真っ直ぐ受け止めるのが誠意だと思います⁝( `ꈊ´ )⁝
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muu❁⃘*.゚

muu❁⃘*.゚

私は高校生の頃、マルティンブーバーの我と汝を読んだことがあります。けれども、そこで書かれていた内容は「本質的反応をせよ!」に応えられるようなものではなかった気がします。むしろ、それは我それの関係になってしまって、ブーバー自身は拒否するような気がします。
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風の音

風の音

本質的に対応とのことなので、めちゃくちゃ可愛いなという感情を切り離してレッサーパンダの状況を冷静に観察する必要がある。

レッサーパンダが手を大きく広げて威嚇するのは、逃げも隠れもできない最終手段の防御行動で、不用意に近づくと噛みつかれたり引っ掛かれたりするらしい。

本質的に対応するには、本来ならそれ以上刺激せず、そっとその場を離れるのが理想だと思うけど、お題では「怖がる」「かわいい」の二択なので、あえて選択するなら「怖がる(警戒する)」方かと思います
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サト

サト

思ったままにでいいと思う
愛でたければ愛でるでいいし
怖ければビビればいいし
怖がるフリという愛で方でもいい

野生下でも
ビビって引く捕食者
かまわず食らう捕食者
空腹でなければ見向きせず去るのもいるだろうし

そういうもんじゃないかなと思う
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じゃんく

じゃんく

「記録する」
そこからネットで共有するなり、研究対象にするなり好きにするといい。

野生だけが地球の文明じゃないからな。
威嚇される→恐れるor動じない
これは野生の中での話。

選択肢から選んでないじゃんって思う人もいるかもしれないけど、
本質が常に選択肢から選べる世界なんてぬる過ぎないか?
何を問うべきか、その選択肢をつくってきたから今の世界があるんだろ?
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世紀末覇者ラ王

世紀末覇者ラ王

たくひらさんの採点基準をそのまま別文脈に置くと、私には少し違和感があります。

例えば、
彼女(レッサーパンダ)
「別れよう」(威嚇)

これを表面行為だけで見ると、
彼女の意図=別れたい→その意図を無視してはいけない→「なんで?」と聞く=意図を受け入れていない?→「はい」と離れる=意図を尊重→我‐汝的100点となります。

でも実際の関係はそんなに単純でしょうか。
「なんで?」も、撤回させたいから聞くのか、相手が何を感じてそこまで至ったのか知りたいから聞くのかで意味が違います。後者なら、むしろ相手を存在として受け取ろうとしているとも読めます。

逆に「はい」と受け入れても、相手を尊重している場合もあれば、「もう価値がない」と切っただけなら我‐それ的にもなり得る。

つまり、行為そのものでは我‐汝/我‐それは決められない。見るべきは、その問いや応答がどんな関係から生まれているかではないでしょうか。

「相手の意図どおりに動くこと」が我‐汝なら、対話そのものが邪魔になります。

人間関係は、尊重し合っていてもヤキモチを妬いたり、すれ違ったり、見返りを求めたりします。相互↔相反↔相対を行き来しながら、汝からそれ、それから汝へ戻る。その揺れも含めて関係なのでは?と思っています。

また後期ウィトゲンシュタインの言語ゲームとして見るなら、「本質的対応」という言葉をどう使うのか、そのルールや文脈が共有されていないまま、後から採点基準を置くのは別のゲームを後付けしているようにも見えます。

だから私には、今回のお題は関係様式を問うたつもりで、実際には「適切な反応行動」を採点しているように見えました。
採点基準には乗らない回答ですが、正誤にはこだわっていません。私の文脈ではこう解釈します。
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とシステム1

とシステム1

解説のような駄文を読んでも、後期ウィトゲンシュタインとの接続はわからなかったし、本質という語はラフに使われていて何を意味するのかわからなかったし、意図とは結局なんなのかわからなかったし、動物が意図を帰属させられうるエージェントであると突然認められていたしetcで、結局訳分からんかった🤷‍♂️

なぜこんなにも節操のない推論をするんでしょうか🤷‍♂️
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