自由とは、ハンドルを自分で握れることか?それとも自分で道路を設計できることか?
例え話にはなるけど、
自分が行きたい場所へ車を操作できることってかなり自由に見える。
でもその自由って道路という限られた範囲の中での自由なんじゃないかと思うんだ。
だとしたら、道路すらも自分で設計できる人は
車の自由を奪うことすらできるほど自由な人間だと言えると思うんだ。
走り屋だろうが暴走族だろうが、
結局は誰かがつくった道路の上を走らされてる。
余談だけど面白い例を挙げると、
オフロードバイクとかマウンテンバイクみたいな乗り物の運転なら誰かがつくった道路の上以外も走れたりする。進む道を自分で決められる。
そしてもう1つ、
自分で車を運転せず他人に運転させる。でも、目的地は自分が指定する。これなら、自分で運転しなくてはいけないという制約からも外れられる。

sin
法律やルールの上で自由があるといえますし、主観と客観に基づくと言えます
ハンドルを握るのも道路を設計するのも法に基づいていますし、山林を駆け回るのも許可なくする事はできません
自由と感じるのは人それぞれに主観があって、自己が自由と感じるならそれがその人の主観なので、もしそれに他者が批判するなら思慮が足りないと感じます
しかし、自由と感じているのは完全な自由で無く、法の枠組みの中でそう感じているだけです
完全な自由を求めるならカオスな社会で実現できます

ゆう@ほれほれ

ユウキ’83@東京

ナトル

まるまる

オイカワ
行動は、無意識が判断しシミュレーションしたことを、意識が実際の行動に移すことで成り立っている。数々の脳科学実験で明らかになっている。
我々は、無意識の選択を実際に「行動に移さない自由」しかないらしい。

クロネク
また、自由とは責任も伴うと思いますので、自己責任で自由の旅への運転を行ってください。
それでは良い旅を👋

ひかり
今回のケースに落とし込むと、設計は出来るだろう。が、地面の価値は、下の水道管やケーブルは、住む人がいれば押し除けるか…
当然完成しても有用でなければ費用はおりない。人と関わり続ける限り、作る側が自由なんてことは幼稚な考えだ。どんなに正しく作っても、絶対クレームは発生するしね。
無人島で、自分しか使わない道路を設計するなら話は別だけどね…。

pophat
ハンドルを握るのも道を作るのも手段でしかないのかなと[ほっとする]

紀文屋
“例え”として目的地を設定していますが、私は『その向かい方』まで設定した時点で「それは自由なんですか?」と、思ってしまいます。
車であれ、バイクであれ『道路を走らなければならない』のもまた、「それは自由なんですか?」と思ってしまいます。
この時点で「どれだけ自由を奪われた中での自由の話なんだろう」と、考えてしまいます。
どうして急に走り屋や暴走族の話しが出たのでしょうか?
確かに、誰かが作った道路の上を、誰かが作ったバイクで、誰かが作ったルールの中で、誰かが言った様な『自由論』を掲げて走ってはいますね。
それらの『自由論』について言及したいのでしょうかね。
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