目に見えないものを信じることと、「思い込み」の境界線はどこにあると思いますか?
スピリチュアルの世界には、
魂や前世、守護霊、エネルギーなど、
客観的に証明することが難しいものがあります。
本人にとっては確かな体験や感覚でも、
他者から見れば「思い込みでは?」と感じることもある。
一方で、客観的に証明できないことと、
その人が実際に何かを感じたり、
そこに意味を見出したことは、
分けて考える必要があるようにも思います。
では、
「自分にとって確かに感じること」と、
「それが事実として存在すると考えること」には、どのような違いがあるのでしょうか。
そして、その境界線はどこにあるのでしょうか。
皆さんは、
目に見えないものを信じることと
思い込みの違いを、
何を基準に判断しますか?
そもそも私たちは、
何をもって「事実」だと判断しているのでしょうか。
Yoshi


若
꜀( ˙꒳˙ ꜀)ハー

オール・リリコ
というか
思い込み
というかの違い

ぼーず
イコールで良いんじゃないかな。
くらげ
でもそうじゃないかもしれない。けど、目に見えないものを信じるならやっぱりポジティブな感情や事柄の方がいいなぁ。

yume
だとすれば貴方が何かを「感じる」事は真実だと言えます。ただ感じることは、勘違いや思い込みからも生み出せます。つまり見えないものを信じることと思い込みは同じ事です。
なのでこの場合に言えることは、思い込みや信じる事には象徴を利用した次の行動を促す力があるということです。
その力をより良く活用するならば、とても大事な力だと私は思います(*´ω`*)☆

ちび
信じて良かったと言う成功例が次からの思い込みになるのでは

コバンざめ
ある集団のなかで多数派があると言えばそれはあることになる。その集団のなかで少数派なら思い込みとされる。例外はそれを判定する専門家またはルールを集団が用意した場合は、それが境界になる。これは科学的に正しいとは関係なく、集団のなかでそうみなされるということ。現代では、科学をその判定に使うので、目に見えないことは、思い込みであると集団に判定されやすい。もちろん、科学的に証明できないものが存在しないといっているわけじゃない。

たしき

サト
「私」としては「運命としか言いようがない」
「あなた」としては「ただの偶然」
「俯瞰で見てた他人」としては「そうなるだろうなという必然」
ということはありえるし
事実「人は思考し行動する」として
魂の考察
「脳の電気信号だ」
「魂があるからこそ動けるんだ」
「わからないけど、あるとした方が説明がつく」
これは全部、考察思想思い込み
どれとでも言えると思う
線引きについては
人によるし自分で持っとけばいいんじゃないかな
と思う
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