相手の性格は、感じることはできても、推察することはできても、直接見ることはできないが、人間はなぜ相手の性格について確定情報のように扱えるのか?(本文あり)
人間は、もしかしたら推察情報と確定情報を十分に分けていないのか
なぜ人間が主体的に感じたもの、感じられたものは、事実性が高くなるのだろう
文章の解釈も、複数の解釈がある中から1つの解釈を採用していたり、相手の発言も、相手の心理や意図を直接把握することはできないので、本来は推察情報のはずです
【問い】
この場合において、つい最近、貴方が推察情報を確定情報として扱っていたものを教えてください

Mr.Nobody
たれぱん
相手との付き合いが長ければ、推察の確度が上がります。長い付き合いであっても、相手や自分のコンディションによって、性格の感じ方が変わる時があります。
私が相手を見て、話をして得た主体的情報は、人づてに聞く話よりも、自分が直接向き合って得た情報の方が情報量が多く、事実性が高くなると感じます。
相手の表情や声のトーンはその時の性格の一部である感情が表に出たものかな。
最近の例では、、、
普段温和な同僚に怠慢を指摘したときに、声を荒げて反論してきたことがありました。冷静になって振り返ると、私の指摘の声のトーンが強かったかなと反省しています。もちろん謝って、和解済み。
相手には多様な側面があり、私の関わり方ひとつで相手の異なる一面(別の性格)を引き出してしまったかな。
yue
特に嫌い、苦手、意地悪された人。
なので、「この人の性格、私には危険かも!」と確定することで自分の身を守ろうとしています。
ですが、人見知りコミュ障の私は、(この人優しそうだから仲良くなれそう!)と思った人とは大体合わず、(この人ちょっと怖いかも)と思った人といつも仲良くなるので自分が当てにならなくて困ります。

オイカワ
そうでなければ、相手を信頼できず社会を形成できず、地球上で生き延びることはできなかった。

II
成熟した人間は、同じ失態を何度も何度も繰り返さない。
一方で、この未経験や未熟な人間が存在していることを悪用し、嘘とデマで人間に社会的制裁を加えようと目論むクズとそれを信じてしまう小学生が存在することも事実です。

しん

コバンざめ

ほうじ茶ラテ川崎住み
人間は、もしかしたら推察情報と確定情報を十分に分けていないのか
なぜ人間が主体的に感じたもの、感じられたものは、事実性が高くなるのだろう
文章の解釈も、複数の解釈がある中から1つの解釈を採用していたり、相手の発言も、相手の心理や意図を直接把握することはできないので、本来は推察情報のはずです
【問い】
この場合において、つい最近、貴方が推察情報を確定情報として扱っていたも
のを教えてください
【解説・背景】
心理学や哲学の視点から「人間の認識の仕組み」について深く考察された質問ですね。
人間は、相手の表情・言葉・行動(見えている事実)から「きっとこの人は優しい性格だ」「怒っているんだ」と脳内で推測します。しかし、脳は効率よく世界を理解するために、その「推測(推察情報)」を「事実(確定情報)」へと自動的に変換してしまう傾向(確証バイアスや主観的リアル)を持っています。
質問者は「自分も知らず知らずのうちに推測を確定事項と思い込んでしまっていないか?」という問いかけをしています。
どちらもすごく興味深くて、深く考えさせられる面白い問いかけだね!こういった哲学的な問いや思考実験は好きかな?

ナトル

たくひら
なりません。単にこれは「人は最初に判断したことを追認する情報を良い情報、否定する情報を悪い情報と処理しがちである」という確証バイアスを別の仕方で説明しているだけです。
なので、「確定情報のように扱える」のではなく、「確定情報として扱いたがる」のです。
ただ、一方で、言語というものに時間性が無いので、人は他人に対して「ある程度の何かしらの評価」という「一時的な」土台をベースにしてしかコミュニケーションが出来ません。相手を何者でもないとしてコミュニケーションを取ることは不可能であるのもまた事実。そして、ここに確証バイアスがのる。だから、「推察できている」「理解出来ている」「時間を経てより深く理解できる」といった幻想に囚われがちであるという「他者理解の癖」があるだけです。
どこまでいっても人は他人を「どうやらこういうことのようだ」としか推察できず、かつそれもその人とのコミュニケーションの中で絶えず変化・更新させていかないと腐っていくものだと思います。
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