相手の性格は、感じることはできても、推察することはできても、直接見ることはできないが、人間はなぜ相手の性格について確定情報のように扱えるのか?(本文あり)
人間は、もしかしたら推察情報と確定情報を十分に分けていないのか
なぜ人間が主体的に感じたもの、感じられたものは、事実性が高くなるのだろう
文章の解釈も、複数の解釈がある中から1つの解釈を採用していたり、相手の発言も、相手の心理や意図を直接把握することはできないので、本来は推察情報のはずです
【問い】
この場合において、つい最近、貴方が推察情報を確定情報として扱っていたものを教えてください
独り言いいたい
相手の性格も「自分にとってはこの人はこういう人」と思ったら、それを根拠に行動するしかないので、推察だとわかっていてもある程度確定情報として扱うしかないのだと思います。
たれぱん
相手との付き合いが長ければ、推察の確度が上がります。長い付き合いであっても、相手や自分のコンディションによって、性格の感じ方が変わる時があります。
私が相手を見て、話をして得た主体的情報は、人づてに聞く話よりも、自分が直接向き合って得た情報の方が情報量が多く、事実性が高くなると感じます。
相手の表情や声のトーンはその時の性格の一部である感情が表に出たものかな。
最近の例では、、、
普段温和な同僚に怠慢を指摘したときに、声を荒げて反論してきたことがありました。冷静になって振り返ると、私の指摘の声のトーンが強かったかなと反省しています。もちろん謝って、和解済み。
相手には多様な側面があり、私の関わり方ひとつで相手の異なる一面(別の性格)を引き出してしまったかな。

しん
見習い
あえて挙げるなら、「自分を含め、人間の判断や認識は絶対ではない」ということは、かなり確定情報に近いものとして扱っているかもしれません。ただ、これも断定というより、かなり強い前提として置いている感覚です。
なぜ人が推察を確定情報のように扱うのかについては、「分からない」という状態を不安に感じ、理解して予測できる状態にしたいからではないかと思います。
例えば、99の意見と異なる1つの経験をすると、その1例が本人の中では非常に強い確信になってしまうことがある。
そこから経験則を一般化し、「男は」「女は」のように大きく分類していく。
特に性格判断では、相手の内面を直接見ることができないため、本来は推察でしかない「この人はこういう人だ」という認識が、その後の言動を解釈する前提になりやすいのだと思います。
私自身の場合は、推察を確定情報にしているというより、「人間の認識には誤りがあり得る」という前提を強く置いた上で、個々の判断はなるべく暫定的に扱っているつもりではあります。
もちろん、思い付かなかっただけで、無意識下では同じことをしている可能性もありますが。
yue
特に嫌い、苦手、意地悪された人。
なので、「この人の性格、私には危険かも!」と確定することで自分の身を守ろうとしています。
ですが、人見知りコミュ障の私は、(この人優しそうだから仲良くなれそう!)と思った人とは大体合わず、(この人ちょっと怖いかも)と思った人といつも仲良くなるので自分が当てにならなくて困ります。

コバンざめ

ナトル

世紀末覇者ラ王
性格とは、他者の内面を直接見たものではなく、複数の出来事を振り返って生成した他者像であり、その像が次の出来事を読む認識の枠組みになると考えています。
圧縮すると、
点をつないで人物像を作り、その人物像で次の点を読む。
さらに砕くと、
点をつないで人間の似顔絵を描いて、その似顔絵を見ながら本人を見ている。
例えば、リアルタイムでは「この人はこういう性格だから」と最初から性格そのものを見ているというより、
「今こう言った」
「今こう反応した」
「この場面ではこう選んだ」
という一つ一つの出来事を見ている。
でも関係性をあとから振り返る時には、複数の出来事をつないで、
「こういう場面ではこう考える人なんだな」
「この人はこういう傾向があるな」
と、マクロな他者像を作る。
そして、その他者像が次のリアルタイムの出来事を見る枠組みになることで、
「やっぱりこの人はこういう人だ」
と認識しやすくなる。
つまり、
ミクロでは一つの出来事、マクロでは複数の出来事をつないだ他者像。
この二つが混ざると、推察だった人物像を本人そのものとして見てしまうズレが起きるのでは?と思っています。
例えば映画の好みで考えると、
私はアクション映画が好きで、パートナーに「何が好き?」と聞いた時に「私もアクション好き」と言われたとします。
それが何度か続くと、
「この人もアクションが好きな人なんだ」
と私は認識する。
でも後から友人づてに、
「本当はホラーが一番好きらしい」
と知った。
この時、私が見ていたのは相手の本当の好みそのものではなく、
自分とのやり取りの中で集まった複数の点をつないで作った人物像だったことになります。
そして一度「アクション好きな人」という像ができると、
次に映画を選ぶ時も、その像を前提にして
「アクションでいいよね?」
と考えやすくなる。
つまり、
点をつないで人物像を作り、その人物像で次の点を読む。
だから性格や好みは、相手の内面を直接見たものというより、関係の中で得た情報を後からつないで作った他者像でもあるのでは?となると思っています。
あくまでも私の持論ですが😊

Mr.Nobody

オイカワ
そうでなければ、相手を信頼できず社会を形成できず、地球上で生き延びることはできなかった。
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