貴方にとって、自分の間違いを認めるのはどのくらい困難ですか?貴方にとって、自分の間違いに気付くのはどれくらい困難ですか?(本文あり)
短文回答や感想ではなく、なぜそのように回答したのかという理由や、回答において主にどの部分を思考で重視したのかも教えてください。
※ 最近哲学の星において短文回答が増えたように感じられるので。

Leaves
しかし思考の間違いになるという事であれば、
はたしてそれが本当に間違いといえるのでしょうか?思考の持ち方は人それぞれであり、何が正解で何が間違いという事は無いように感じます。
それはただの思考の相違だと私は思います。
なので、「それは間違いだ!」と言われても、
あーこの人にとって私の考えは違うんだな。
ではこの人にとっての正解はこうなのかな?と自分の中で処理して、そういう考えもある事を受け入れる事で終わりかなと思います。

サト
理由は自分が正しいとは限らないから
とだけ
短文回答になるけど他に言いようがない
自分が正しいとは限らない
相手が正しいとも限らない
なら
相手の視点を受けて検証しましょう
というだけだと思う

たか
見習い
ただし、可能性があることと、間違いだと確定することは別ですかね。
私の場合、間違いを探すこと自体はそれほど難しくないと感じています。
そもそも自分の考えや前提を、最初から絶対に正しいものとして持っているわけではないからです。
むしろ『もし間違っているとしたら、どこが矛盾するだろう、どこで破綻するだろう』と考えることは比較的自然にしているつもりです。
一方で、『自分は間違っていた』と認める段階では、少し慎重ですね。
単に反証らしきものが出てきただけで、すぐに元の考えを捨てるのではなく、その根拠が本当に十分なのかを吟味する必要があると思うからです。
ただ、そこで別の仮説を考えてみて、元の考えとどちらがより整合性を持つのかを比較することはできる。
そうして検証を重ねた結果、元の考えのほうが明らかに説明力を失っていけば、『あれは間違いだったんだな』と判断することになると思います。
だから私の場合、『自分の間違いに気づくこと』そのものよりも、『どの時点でそれを間違いだと認めるか』のほうが難しいのかもしれないですね。
もちろん、そこにはプライドもあると思います。
『ここで自分の考えを間違いだと認めてしまって、本当にいいのか』という葛藤などですね。
ただ、それも含めて、自分の考えを守ることと、自分の考えが正しいことは別問題だと思っています。
最終的には、自分のプライドよりも、どちらの仮説が現実と整合するかを優先したいと考えています。
おもち
なぜなら、自分は正しいと、私は信じたいからです。そうせねば生きてこられませんでした。その正しさはいわゆる社会の尺度での正しさではありません。いわば、自らの存在、世界へのゆるしという意味での「正しさ」だからです。
それを間違いとすることは今の私にはどうしてもできないように思います。そういうわけで、困難となります。
例え自らがうすうすこれは間違いではないかと感じていても、私は、わたしにすがりたいのです。

おにゃに
評価とは一定の認可を得た回答でしかない。
認可とは指標を示した指針でしかない。
正解はあるようでない曖昧で儚い夢のようなもの

若
てか、なるべく早く謝りたいですw💦😅
ボクは典型的なB型なので、基本的に自分が正しいと思っているのですが、その正しさは他人からも認めてもらわないと意味が無いので、間違いはなるべく早く修正したいのです。
(๑•̀ㅂ•́)و✧
なので屈辱感や劣等感、罪悪感はほぼ無いと言ってイイと思います。
むしろ謝るタイミングを逸してしまうことの方が怖いですし、その絶妙なタイミングを計ることの方が難しいですw💦
(;´∀`)ゞ💦
げるん
自分じゃ無くなる感覚
非の強弱
アイデンティティの自認
多様な事柄あるから間違いの認めはその都度違う

バード
間違いに気づいたり認めたりするのは、自分の糧になる。成長の着火剤となるので探求は止められない。

タイリー
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