貴方にとって、自分の間違いを認めるのはどのくらい困難ですか?貴方にとって、自分の間違いに気付くのはどれくらい困難ですか?(本文あり)
短文回答や感想ではなく、なぜそのように回答したのかという理由や、回答において主にどの部分を思考で重視したのかも教えてください。
※ 最近哲学の星において短文回答が増えたように感じられるので。

フレム・チェンバース

月の熊
そう思っているので自分の間違いに気付いた時点で素直に謝罪し改めるようにしています。

若
てか、なるべく早く謝りたいですw💦😅
ボクは典型的なB型なので、基本的に自分が正しいと思っているのですが、その正しさは他人からも認めてもらわないと意味が無いので、間違いはなるべく早く修正したいのです。
(๑•̀ㅂ•́)و✧
なので屈辱感や劣等感、罪悪感はほぼ無いと言ってイイと思います。
むしろ謝るタイミングを逸してしまうことの方が怖いですし、その絶妙なタイミングを計ることの方が難しいですw💦
(;´∀`)ゞ💦

Leaves
しかし思考の間違いになるという事であれば、
はたしてそれが本当に間違いといえるのでしょうか?思考の持ち方は人それぞれであり、何が正解で何が間違いという事は無いように感じます。
それはただの思考の相違だと私は思います。
なので、「それは間違いだ!」と言われても、
あーこの人にとって私の考えは違うんだな。
ではこの人にとっての正解はこうなのかな?と自分の中で処理して、そういう考えもある事を受け入れる事で終わりかなと思います。
おもち
なぜなら、自分は正しいと、私は信じたいからです。そうせねば生きてこられませんでした。その正しさはいわゆる社会の尺度での正しさではありません。いわば、自らの存在、世界へのゆるしという意味での「正しさ」だからです。
それを間違いとすることは今の私にはどうしてもできないように思います。そういうわけで、困難となります。
例え自らがうすうすこれは間違いではないかと感じていても、私は、わたしにすがりたいのです。

世紀末覇者ラ王
もちろん感情は正直に出ます。羞恥心を感じれば情けなくもなりますし、腹が立つこともあります。
それでも、自分の前提がおかしかったと理解できれば、「なぜ間違えたのか」が納得につながります。
相手との議論や討論の中で、自分が概念として捉えていた解釈そのものが前提だったと分かれば、その前提を再構成し、概念も再構築できます。
ただし、間違いを指摘することと、人格そのものにレッテルを貼って攻撃することは別です。
自分の間違いは認めますが、人格攻撃まで受け入れるわけではありません。そこは別の話として議論します(笑)
また、自分がまだ理解できていない場合は保留にします。
自分が正しいのか、間違っているのかも含めて「分からない」として保留します。
と、私はそのように認識しています。
あくまでも自己評価ではありますが。
見習い
ただし、可能性があることと、間違いだと確定することは別ですかね。
私の場合、間違いを探すこと自体はそれほど難しくないと感じています。
そもそも自分の考えや前提を、最初から絶対に正しいものとして持っているわけではないからです。
むしろ『もし間違っているとしたら、どこが矛盾するだろう、どこで破綻するだろう』と考えることは比較的自然にしているつもりです。
一方で、『自分は間違っていた』と認める段階では、少し慎重ですね。
単に反証らしきものが出てきただけで、すぐに元の考えを捨てるのではなく、その根拠が本当に十分なのかを吟味する必要があると思うからです。
ただ、そこで別の仮説を考えてみて、元の考えとどちらがより整合性を持つのかを比較することはできる。
そうして検証を重ねた結果、元の考えのほうが明らかに説明力を失っていけば、『あれは間違いだったんだな』と判断することになると思います。
だから私の場合、『自分の間違いに気づくこと』そのものよりも、『どの時点でそれを間違いだと認めるか』のほうが難しいのかもしれないですね。
もちろん、そこにはプライドもあると思います。
『ここで自分の考えを間違いだと認めてしまって、本当にいいのか』という葛藤などですね。
ただ、それも含めて、自分の考えを守ることと、自分の考えが正しいことは別問題だと思っています。
最終的には、自分のプライドよりも、どちらの仮説が現実と整合するかを優先したいと考えています。

はな
理由↓(長文)
今まで、ここまで人生を重ねてきた経験上、間違いを認めれるのは自分だけだと気づきました。
たとえば間違いと言われる問題が起こった場面で、どう考えても自分が悪いんではないと思う瞬間のある場面でも、後々振り返るとやっぱりどうしても自分にも非がある部分があったりします。人によってはその程度が、「いや、あなたは悪くないでしょ」って私に言われるほど低い場合でも、私は完璧人ではないので、もしかしたら事前にこれを伝えなかったから起きたのかもしれない、自分が意図してなくても悪い部分はあったのかもしれない、本当に自分が悪かったんだ、と反省します。反省する余地がいつだってあるんです。反省する余地があるということは少なからず私も悪かったところがあるということだと認識しています。そんな些細なことからでも自分の間違いを受け入れ認め反省することを繰り返していれば、自然と自分の間違いを認めるのは簡単になります。
それに、自分の間違いを認めるのが早いほど、嫌な気持ちからの切り替えも早くなり、メンタルも安定します。なぜかというと、コントロールできるのは自分のことだけだからです。いつまでも他責思考をしていたら自分の力だけでは変えられない外部要素に問題の改善を委ねるだけモヤモヤする時間は引き伸ばされますし、もしかしたら解決しないままになるかもしれない。それなら間違いの問題の処理を自分の中で解決させた方が気も楽です。
そうやって間違いを認めようとすると、どうしてそうなったのかという理由を脳は勝手に探します。探した先で繰り返さないための改善方法も考えれて、成長できるのではとも思っています。
だから、間違いを認めるのはもう私には簡単なんです。
まぁ、それでとても罪深い人間として生きているなと感じますがね[冷や汗]まぁそれが人間という生き物かと思いつつ

むかで
背伸びした時の優越感か、一時の恥と身の丈に合った評価。
押し通すのはもう老体にはつらい。
日本では謝った方が効率的だし楽な気がします。

たか
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