自分で選んだと思っている選択は、本当に「自分」で選んだものなのでしょうか?
私たちは日々、自分の意思でいろいろなことを選んでいます。
でも、その「選びたい」という気持ち自体が、育った環境、親から受けた価値観、過去の経験、世間の常識、人からどう見られるか、成功や失敗への恐れなどから作られているとしたら。
どこまでが周囲から受け取った価値観で、どこからが本当の自分の意思なのでしょう。
そして、あらゆる影響を受けて形成された「自分」が選ぶことも、自分の意思と呼べるのでしょうか。
だるま落とし
選択に失敗した時の言い訳にもなりそうな問題だ。「あの時選んだのは“本当の自分”じゃ無かったんだ!」的な。
思考実験?的に考えるならいいと思うけど、無責任思考製造機みたいなのは嫌だなぁ

コバンざめ
選ぶにあたって周りの状況から影響はありそう
人間はみんなが好きなものを欲しくなったり、所属する集団の価値観を重要と感じたりする生き物にみえるから。でも、何の影響もうけてない本当の自分の選択みたいなものは、人類が自分1人にでもならないかぎり、実現しない幻みたいにかんじる

紀文屋
『選ばなければならない選択肢が現れた瞬間、“もし、コレを選んでなかったら”という考えも生まれてしまう』のかな、と思います。
そしてしばしば「あっちを選べば良かった…」という考えが、「本当に自分が選んだのだろうか?」という考え方に発展してしまうのではないだろうかと思っています。
私の答えとしましては
『間違いなくあなたが選んだ事です。どんな外的要因があったとしても、それらの状況を踏まえたあなた自身が選んだ事です。』
と、なります。
私の中ではワリと危険な考え方だと思っているので、線引きはキッチリした方が良いと思ってます。

あざ
まず土台として、構造人類学、構造主義の考えを借りると「自分の選択は後天的要素(育ってきた環境や会ってきた人、これまで経験してきた全ての事柄)に強い影響を受けている。そのため、自分の選択は純粋な自由意志(自分はこうしたい!)だけで決まるものではない。」とされています。具体例として箸を挙げると分かりやすいかもです。私達日本人は食卓に細長い棒が2本置いてあると「あ、箸だ。これでご飯食べよ」となりますが、箸を使わない文化圏の人からすると「何やこの細長い棒…」となり、食事の時に使うという概念自体がありません。
このように、自分の中に無い概念は選択肢としてすら思い付く事が極めて難しいです。逆に言うと、何かしら意思決定できる時点で選択肢の要素内に自分の中にある経験や知識が影響しています。後天的要素を形成するのは確かに環境や経験ではありますが、それら全部ひっくるめて【自分】なんじゃないかな?と思います。

黒石
よく考えもせず選ぶ
ウソに騙される
信じたいことを信じたい結果騙される
感情的に決めてしまって後悔する
何かおかしい、ホントなのか?と思いながらもそれを選んでしまうなど…
飲食店のおすすめは味なのか利益率なのか?
流行は仕掛け人がいるし、日本人は流されやすい
それでも最後の決断は本人の責任です

タイリー
過去の様々な人々からの影響や、周囲やマスコミ、SNS等の様々なバイアスに影響されて形成されているのが人間なので、それはもう自分の意思と考えて然るべきだと思う。

SHO
自分をつくったものに、選ばされている。

はるまき

はな

G-K
人間は、群れを作る生き物です。
古の時代から、親からの教育、集団への適合などにより、結果としての選択をしています。
必ず、何かしらの影響を受けています。
しかし、それは幸せな事です。
何者かから学び、本能ではない学習をするという事が
人間の知性のひとつであり、それを振るって生きていきます。
ですから、影響された選択は、全て「自分での選択」です。
自信を持てるかどうかが違うのです。
自分で、考えられていたか?
もっとみる 





