自分または自分の子供もしくは家族と、ホームレスまたは発展途上国のホームレスは、同じ世界に住んでいますか?
貴方は、どの世界の住人で、その世界には、誰が、何が住んでいますか?

うみ
サクヤ

やましょ
でもそれって人間の社会が作り出したものだから。

のあ

サリンジャー
ハミルトン

風の音
一つは、自分自身を中心に人それぞれが固有している世界
もう一つは、宇宙を含めて全てを一つととらえる世界
前者は自分の人生そのもので、脳や生命維持器官が停止した場合、その世界は終焉しますが、後者の世界はたとえ太陽が寿命を迎える前、すべての生命が死滅しても継続します。
お題の「世界」がどちらの意味にもとらえられるのですが、前者の意味での質問であるならば「人それぞれが、たとえ家族であってもそれぞれの世界で生きている」つまり“住んでいない”。
後者の意味であるならば“住んでいる”という回答になります[惑星][星]

みと
ただ、人間が実際に生きている「世界」は、もっと狭く、濃淡があるものだと思います。
私の世界の中心には、まず自分がいて、家族や大切な人がいます。その外側に友人や職場の人、知人がいて、さらにその外側に、同じ社会で暮らす知らない人や、遠い国の人たちがいる。
だから、自分の子どもが苦しんでいることと、遠い国の知らない子どもが苦しんでいることを、私は同じ重さでは感じられません。極端な状況なら、私は自分の子どもを選ぶと思います。
それは命の価値に優劣があるという意味ではなく、私との距離が違うということです。
人は、世界中のすべての人を完全に同じ重さで愛したり、同じ責任を感じたりすることはできないと思います。
ただし、その距離は固定ではありません。
知らないホームレスの人でも、実際に話して、その人の事情や人生を知れば、急に自分の世界に近づいてくることがあります。遠い国の誰かでも、顔や名前を知れば、「どこかの誰か」ではなくなる。
だから私は、「全員が同じ世界に住んでいる」とも、「人はそれぞれ違う世界を生きている」とも思います。
私は家族を特別扱いします。でも、だからといって遠い人がどうでもいいわけではありません。
世界中の苦しみを全部背負うことはできない。でも、自分から遠いというだけで、その人を雑に扱っていいとも思わない。
私にとって世界とは、全人類を同じ重さで並べた名簿ではなく、自分を中心に関係性によって濃淡のついた地図です。
その中心には、私と、私が愛している人たちがいる。
でも、その境界線には壁があるわけではない。
同じ世界に生きながら、それぞれが少しずつ違う世界を生きている。
たぶん私は、そう考えます。

まーさん
分かり合うのは
無理だよ


フレム・チェンバース
ひとまず マズローって にんげんが あみだした ピラミッド みておいで!!
もっとみる 



