自分または自分の子供もしくは家族と、ホームレスまたは発展途上国のホームレスは、同じ世界に住んでいますか?
貴方は、どの世界の住人で、その世界には、誰が、何が住んでいますか?

フレム・チェンバース
ひとまず マズローって にんげんが あみだした ピラミッド みておいで!!

みと
ただ、人間が実際に生きている「世界」は、もっと狭く、濃淡があるものだと思います。
私の世界の中心には、まず自分がいて、家族や大切な人がいます。その外側に友人や職場の人、知人がいて、さらにその外側に、同じ社会で暮らす知らない人や、遠い国の人たちがいる。
だから、自分の子どもが苦しんでいることと、遠い国の知らない子どもが苦しんでいることを、私は同じ重さでは感じられません。極端な状況なら、私は自分の子どもを選ぶと思います。
それは命の価値に優劣があるという意味ではなく、私との距離が違うということです。
人は、世界中のすべての人を完全に同じ重さで愛したり、同じ責任を感じたりすることはできないと思います。
ただし、その距離は固定ではありません。
知らないホームレスの人でも、実際に話して、その人の事情や人生を知れば、急に自分の世界に近づいてくることがあります。遠い国の誰かでも、顔や名前を知れば、「どこかの誰か」ではなくなる。
だから私は、「全員が同じ世界に住んでいる」とも、「人はそれぞれ違う世界を生きている」とも思います。
私は家族を特別扱いします。でも、だからといって遠い人がどうでもいいわけではありません。
世界中の苦しみを全部背負うことはできない。でも、自分から遠いというだけで、その人を雑に扱っていいとも思わない。
私にとって世界とは、全人類を同じ重さで並べた名簿ではなく、自分を中心に関係性によって濃淡のついた地図です。
その中心には、私と、私が愛している人たちがいる。
でも、その境界線には壁があるわけではない。
同じ世界に生きながら、それぞれが少しずつ違う世界を生きている。
たぶん私は、そう考えます。

くらら♂
確かにアフリカの子供達も、発展途上国の労働者も、テレビの中でしか見ないけど、思い返せば俺の周りにはメイドインジャパンでない商品で溢れてる。
ただ綺麗にパッケージングされていて、気が付かないだけだ。
世界をステージと読み替えても同じことで、違うステージの恩恵を俺らはちゃんと受けている。
格差は認めざるを得ないし、格差が悪いとも思わない。でも、格差があることを知りながら、その恩恵を受けながら、格差から目を背ける行為を俺は醜悪だと思う。

風の音
一つは、自分自身を中心に人それぞれが固有している世界
もう一つは、宇宙を含めて全てを一つととらえる世界
前者は自分の人生そのもので、脳や生命維持器官が停止した場合、その世界は終焉しますが、後者の世界はたとえ太陽が寿命を迎える前、すべての生命が死滅しても継続します。
お題の「世界」がどちらの意味にもとらえられるのですが、前者の意味での質問であるならば「人それぞれが、たとえ家族であってもそれぞれの世界で生きている」つまり“住んでいない”。
後者の意味であるならば“住んでいる”という回答になります[惑星][星]
たれぱん
ホームレスや発展途上国という言葉は知っております。
私は生活をする上でそれを意識したことはありません。つまり、同じ世界に住んでいます。

ギゼン
異なると称するのならばそれは「異なる世界観のもとで住んでいる」と言えそうです。
同時に、自分以外の生命体は「同じ世界の異なる世界観のもとで住んでいる」と言えそうですね!
サクヤ

やましょ
でもそれって人間の社会が作り出したものだから。

のあ
ハミルトン
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