現象はラベル(言葉の定義)を通さないと認識できないのか?※本文あります。
グラビティで「言葉にできないモヤモヤ」という表現をよく見かけます。
では、その「言葉にできない現象」は、概念としてどのように認識されているのでしょうか。
そこから、このお題を考えました。
「寂しい」という現象に対して、あなたは何をもって「寂しい」と認識していますか?
人がいないことですか。
誰かに会いたいと思うことですか。
期待した反応が返ってこないことですか。
過去の経験との比較ですか。
それとも、言葉になる前の身体感覚でしょうか。
私たちは「寂しい」とラベルを貼ったあと、その現象を理解したと思っているだけなのか。
それとも、ラベルになる前から「寂しい」という認識は成立しているのか。
正解・不正解には、一切こだわっていません。
現象が概念としてどのように認識されるのか。あなたにとっての「現象」と「概念」を教えてください。

くま
後からそれを表す言葉が生まれたと考えるのが自然だと思います。
ただ、言語が発達して感情を表す言葉が細分化されると、
それまで曖昧だった感情が言葉によって初めて認識されたり、
言葉そのものが感情のあり方に影響したりすることもあるでしょう。
ただ「では、その感情は言葉より先に存在していたのか」と突き詰めると、
認識論的な底なし沼に入っていきます。
なので基本的には、「感情が先、言葉が後。ただし言葉も感情に逆作用する」くらいに考えるのが妥当だと思います。

まーさん
分かり合うのは
無理だよ

たれぱん
「寂しい」というラベルを貼ることにより、モヤモヤの輪郭がハッキリと見えてくるのではないでしょうか?
ラベルを貼る前からモヤモヤと認識はしていると思いますが、ラベルがないので、上手く表現できないかな。
最近、ちょっと合わない雰囲気の人がいて、モヤモヤしてました。ネットで「フェイクワーカー」という言葉を見つけて、これだ!と思いました。
「ちょっと合わない雰囲気」というモヤモヤした現象があって、しっくりくるラベルを見つけた感じでした。

F
グラデーションやニュアンスのある感情(現象)が先にあって、それを表す近い言葉(概念)を頭で探した時に「ストレス」→「不足」→「寂しい」と細分化され、答えに近いものに辿り着く感じかなと思います。
でもそのラベルはあくまで「目安」や「座標」みたいなものでしかなくて、たとえば最初の感情が「青緑色みたいな感覚」だとして、その心の機微を言葉で完璧に言い表して辿り着くのは難しいことかなと思います。
ただその振り分け作業を怠る人が自分の中で生まれる感情を何でもかんでも「エモい」みたいなめもりの荒い言葉の中にぶち込むのかなとも思うし、
逆にまだ名前のついてない感情はいくらでもあると思っていて、例えば日本語の「悔しい」なんかは英語では”regret”とか”frustrating”とか”mortifying”になるけど、どれも日本語でいう「悔しい」とはちょっと違うかも?みたいなことはよくあるし(日本語のめもりの細かさも、英語の荒さも好きですが) 、
やっぱり言葉は感情を他人に(あるいは自分に)とって分かりやすく定義するために立てる旗みたいなもので、いちばん最初に生まれる生の感情は、感じる人の経験や人格やフィルターをもってして初めて受け取れる、どうしたってその人だけのもので、言葉はまるで追いついてないような気がします。

オイカワ
ガザニカの分離脳実験から見れば、無意識という主体は既に現象を認識しており、無意識は意識の持つ言語を通すことで、無意識が表出されるという流れになります。
目の前のもの選択する時の脳の動きを調べた結果も、①無意識が選択、②無意識でシミュレーション、③意識が認識、④意識が行動に移す、という流れになったそうです。
目の前のコーヒー、紅茶、どちらを飲みたいかは、意識に昇る前、7〜10秒前には無意識で決まっているそうです。
感情は平等というより、無意識の思考の結果です。例えば物陰で何かいるとき、論理的に考えていたら、時間を要して物陰から飛び出してきた虎に殺されるなんてことになります。不安感という感情(無意識の思考結果)に従ってすぐ逃げれば救われます。
意識というか認識を過大評価している気がします。こう書いている私も、過去は意識に重きを置いていました。

せい
やはりラベルの意味を遡及するとき、個人個人の知識や経験、関心の違いで変わってくる。しかしながら、ラブソングとか、そういった感情の普遍的な理解は案外みんな持っているからビジネスとして成り立ったし、どちらかと言えば、このラベルにはグラデーションがあって、感情についてもグラデーションのライトトーンでしか感じられない人と、ダークトーンまで感じられる人もいるので、夏目漱石が考えた近代の苦悩は、まさに長文の文学に託さねばなかなか伝わらない曖昧さ、深さがあるのではないかな。

mon

いいよE-yo

せいたろう
ある人の寂しいという状態は、言葉を通じて初めて概念化されるのです。
こうして寂しいという言葉が出来ることによって、寂しいという概念が作られ、寂しいんだな、という共有化ができます
しかし、実際の個々の人の寂しさは、言葉でいいつくせないほど、個別のものです。
この実際と概念のギャップを埋めるために、文章がうまれ、文学や詩歌がうまれたのかもしれません。
また、言霊と言われるように、言葉はたまたま生まれるのではなく、概念をあらわすのに適切なように、人々が考えて出来上がったものであり、それで霊が宿っているのだと思います

サト
現象を五感が認識して
それに対して持ちうる語彙から
ラベルを貼るんだと思う
その認識とラベルの不一致感が
モヤモヤなんだと思う
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