哲学の遊戯性について。ある命題を、難解な顔をしながら弁証法的に精密化する営為と、知的好奇心に基づいて問いを遊戯として愉しむ遊戯的的営為は両立可能か?
『知を愛する』とは
何(What)するか × どう(How)やるか × なぜ(Why)やるか
乱暴な例え:
▸ What→◯◯法で思考、学術的的精密化𝒆𝒕𝒄.
▸ How→🤔😐🤪🙂↔️🫠🙃😠🥳𝒆𝒕𝒄.
▸ Why→自我維持、競争優位性の確保、自己有能感の確認、知的好奇心ドリブン、研究や探究、認知習慣𝒆𝒕𝒄.

たくひら
何でこれ二項の端と端に置けるのでしょうか…?例えば将棋指しは嬉々として難解な場面を難しい顔して考え続けていると思うのですけども。

けんぼぉ−

むかで
プロ野球選手が友達と草野球する
卓球選手が温泉卓球
芸術家のイタズラ書き
好きならどの角度からだっていい
マイナスになるならやらない

タヌ本
Sana ✨

月の熊

y/Apr.
どのような場面で両立の難しさを感じましたか?

