なぜ投資量と実利は、相関性が無いのでしょうか?(人間関係)
例えば、「人に尽くす=好かれる」は成り立たないとかです。

フレム・チェンバース
その いいかたで いうなら とうしが そのまま じつりだと かんがえられない うちはね

🇨🇽nano㌨
相関関係はあるものとないものがあります。必ずしも一方向に寄るとは限りません。先ずは条件分岐を提示しないと同じ話をしているようで人によって異なる基準を部分的に見ているだけになります。
※100個のブロックがあるなら、100個全体を見て解釈を始めないと部分的にAの性質の30個を見て話す人とBの性質20個、Cの性質10個等を見て主観的に語るだけになります。
【条件①】
投資対象の性質が一貫性のある解釈可能性を持つか。
【解説①】
例えば、あなたは毎日頑張っているねと承認欲求を満たすことに対して、満足感を得られる人、努力の過程等を知らずに土足で踏み込まれたと感じる人等、「1つの投資に対して一貫性ある回答が得られないものは投資量に対して相関関係はありません。」
【条件②】
一貫性がないということは条件①に対して反例があるということです。その反例は何かを考える必要があります。
例:文化や主観の差分を回収することによって、部分的に相関関係が成立する場面がある。
【解説②】
冒頭のブロック100個のうちAの性質30個を同じように経験または認知していた人たちはお互いに理解しやすく、歩み寄りやすい環境にあります。ここでは、距離を縮めやすい場面がある一方で、文化や主観で最重要ではなかった性質Bの20個の話になったときに更に距離を縮めやすくなるか、Bが異なるため、関係性が発展しにくくなるかに分かれます。また、別の視点では、お互いのBの解釈の異なりによって歩み寄れることもあります。つまり、「異なることよりも主観で相手をどう捉えるかによって出る答えもまた変わる」ということです。
【結論】
相関関係の有無はこのように部分的にあったりなかったり、主観によって左右されたりします。
条件の中で相関関係がないとして解釈を進めると相関関係がある場面で矛盾し、逆に相関関係があるとしてもない場面で矛盾することから、設問自体に一貫性のある解はないということです。

てす人

じゃんく
100Lの水が入ったタンクに細い管をつける。
30Lの水が入ったタンクには太い管をつける。
どちらが短時間で多くの水を相手へ届けられるか。
みたいに考えてみるのもいいかもね。
この場合
投資量=タンクの容量
実利=どれだけ相手に水が届いたか
で見るなら伝わる速度が遅いままならどれだけ投資量(タンクの容量)を増やしても、効果は薄かったりすると思う。
となると、まず改善すべき点は管の太さだったりする。
ビジネス用語みたいな感じでボトルネックって言葉があるけど人間関係においても、
関係を維持するうえで最大の詰まりは何か?
を見るのも大事だと思う。
10個の好かれることを増やすより、1個の強い嫌悪要因を消す方が効く。なんてこともある。
例を挙げるなら
・話を遮られることに強いストレスを感じる
・約束が曖昧なのが嫌
・一人になる時間が足りない
・困っているときに勝手に解決されるのが嫌
みたいな詰まり(ボトルネック)を相手が抱えているとするなら
プレゼントをする、褒める、頻繁に連絡する、楽しませる、といった一般的に「好かれそうな行動」を大量投入しても、肝心の詰まりが残っていたら、
「ありがたいけど、しんどい」
ってことにもなり得ると思う。
たれぱん
投資に見合う効果が得られるとは限らないかな。1本のバラの方が、投資以上の効果を生むかも。
また、私は好意や信頼は損得勘定で取引できるものではないと思ってます。
見返りを前提にした関係性は、お互いにどこかで無理が生じやすいかな。

真吾です。

のりこ
せい君

まーさん
概念だから
です

みみみ
他の努力であれば、何かしらの見返りがあることが多いです。サッカーが上手くなりたいと考え毎日練習していれば、誰もがプロ選手になれるわけではありませんが自分比であれば確実に上達はしていきます。
こちらの質問文に“投資”とありましたが、人間関係においてはそもそも投資ではないのかもしれませんね。寄付のほうが実態としては近いのかもしれません。寄付をした先から感謝されることも後々お返しがくることも誰も保証してくれません。
でも寄付した本人が知らずのうちに、相手がそのまた誰かへ寄付したり、忘れた頃にお礼が届いたり、倍になって帰って来たり、そういった循環なのかもしれません。
投資と違うのは、寄付した相手を恨まない限り見返りがなくても良いことをしたと自分の行動を愛せる余地があることだと思います。
今さっきの思いつきですが、私の意見はこんなところです。
もっとみる 





