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悪とは「性質」なのか「選択」なのか

生まれながらにして悪は存在するのか、しないとしたらなぜ悪を選択するのか。或いは人は自らの意思で善悪を選択できないのか。 皆さんの考えを教えて下さい。
のる

のる

選択。他者がいて初めて悪魔という評価が生まれる。他者がいない場合、性質が悪魔という評価は成り立たない。
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あざ

あざ

何が悪いのかって自分視点だと言語が難しいですよね(*´ω`*)めっちゃよく分かります。さて、質問へのアンサーですが「両方あり得る」かな?と思います。
あくまで私個人の見解ですが
「悪」とは、選択を経て得た結果または特定の傾向の結果を出しやすい性質に対する第三者(自己意識:俯瞰した自分像 を含む)からの判定されるものだと考えています。善悪は他者との関係から生じる倫理や道徳に基づく概念なので一概に生れつき善悪は定義できないですし、逆に言うと誰でも善も悪も選択できると思います。
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Y

Y

選択によって悪は定められる。
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Jotak

Jotak

まず悪という概念自体がレッテルだと思います。隕石が落ちて何百万人も死んだとしてもそれを悪とは言いません。しかし爆弾であれば悪とみなされます。肉食獣が獲物を殺すのを悪と言わないのも、その様に解釈しているからです。自分のペットが食い殺されたら悪と呼び始めます。ですので悪は後付けの性質であり選択とも言えると思います。回避出来ないのは善悪と無関係の理由でその行為をし、それにレッテルが付く(他人がつける)という順番だからだと思います。
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若

若

まず『悪』そのものの規定から論じてる人がかなり見受けられますが、それは出題者さんからの意図とは少し違う気がします。

何をもって『悪』とするかはこの際置いておいて、もしくは、回答者さんのイメージする『悪』(今現在「こういうのは『悪』でしょ」と思う事柄)が、『性質』に基づくものなのか、それとも『選択』によるものなのかを問うておられるのだと思います。

さて、ボクの答えは『性質』と『選択』の半々であると考えます。

というのは、ボクは人間に限らず、生物の『個』を『個』たらしめるモノは、『先天的要素』と『後天的要素』の2つから成ると考えているからです。

例えば野生動物を成体で保護した場合と、生まれた時から人の手で育てた場合では、『人馴れ』にかなりの差が出ます。
植物も同じタネでも生育環境が違えば、成長具合が全く異なります。

なので、個の要素として悪(?)の性質を先天的に強く持つ者もいれば、そうでない者もいる。
そこに後天的要素である『選択』が加わることでより悪へと傾く者もいれば、元々善(?)の性質を持つ者が、一気に悪へと転変することもあるのでは無いかと思います。

『子は親を見て育つ』や『子を見れば親がよく分かる』と言われる一方で、『反面教師』や『朱に交われば赤くなる』という言葉があるのは、先天的要素しかり、後天的要素もまたしかりという事象を示しているのではないかと思います。

(⁠・⁠∀⁠・⁠)しらんけど
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イルム

イルム

サイコパスかソシオパスを例にすれば分かりやすいと思うけど、先天的か後天的かの違いしかないから、先天的がある以上は生まれながらにして悪は存在するになる。
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たれぱん

たれぱん

悪は「単位」(関係性の中で決まる度合い)ではないでしょうか?
「悪→どちらでもない→善」
、、、みたいな感じで、実態はなくて、何か事案があって、その事案が良かったのか悪かったのかということかな。
具体的には、善か悪かを図る対象の事案が必要です。その事案には事案を起こす人と受ける人も必要です。
その3つがあって、善か悪か判定というか、どのくらい「悪」か図る事ができます。

事案を起こした時、影響を受ける人がいなければ、「悪」と判定する人はいません。よって、「どちらでもない」になります。

意図した相手に対して、困る事案を行った場合、その相手が困ると、その相手はその事案に対して「悪」と判定すると思います。

また、意図した相手に対して、困る事案をなぜ行うのかというと、自分の内部に困ることがあって、自分だけが苦しい思いをしているのが辛くて、自分と同じ苦しみを相手にさせたかったかもしれないです。

したがって、「悪」は生まれつきの「性質」ではなく、関係性の中で生じる「評価・度合い」であり、事案の動機は内面の苦しみに起因する「選択」かな。
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せい君

せい君

悪は選択
他者が悪として選択した結果が悪
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コーユー

コーユー

私は、悪は「性質」でも「選択」でもなく、「状態」だと考えます。
なぜなら、何かの基準から評価されて、はじめて「善い・悪い」が決まるからです。

もちろん、「悪事」として定められている行為を選択することはできます。ただ、それが悪いことだと知らなかったり、理解できていなかったりすれば、必ずしも悪を選んだとは言えません。

また、善悪は必ずしも二択ではなく、グラデーションでもあります。さらに、一人の人の中に、善い面と悪い面が共存することもあります。

だから「生まれながらの悪人」というより、生まれ持った性質や傾向が、ある社会や倫理の基準によって「悪」と評価されることがある、と考えたほうが自然だと思います。

そう考えると、善悪は時代や文化によっても変わってくるのではないでしょうか。
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