悪とは「性質」なのか「選択」なのか
生まれながらにして悪は存在するのか、しないとしたらなぜ悪を選択するのか。或いは人は自らの意思で善悪を選択できないのか。
皆さんの考えを教えて下さい。
のる

あざ
あくまで私個人の見解ですが
「悪」とは、選択を経て得た結果または特定の傾向の結果を出しやすい性質に対する第三者(自己意識:俯瞰した自分像 を含む)からの判定されるものだと考えています。善悪は他者との関係から生じる倫理や道徳に基づく概念なので一概に生れつき善悪は定義できないですし、逆に言うと誰でも善も悪も選択できると思います。


Y

Jotak

若
何をもって『悪』とするかはこの際置いておいて、もしくは、回答者さんのイメージする『悪』(今現在「こういうのは『悪』でしょ」と思う事柄)が、『性質』に基づくものなのか、それとも『選択』によるものなのかを問うておられるのだと思います。
さて、ボクの答えは『性質』と『選択』の半々であると考えます。
というのは、ボクは人間に限らず、生物の『個』を『個』たらしめるモノは、『先天的要素』と『後天的要素』の2つから成ると考えているからです。
例えば野生動物を成体で保護した場合と、生まれた時から人の手で育てた場合では、『人馴れ』にかなりの差が出ます。
植物も同じタネでも生育環境が違えば、成長具合が全く異なります。
なので、個の要素として悪(?)の性質を先天的に強く持つ者もいれば、そうでない者もいる。
そこに後天的要素である『選択』が加わることでより悪へと傾く者もいれば、元々善(?)の性質を持つ者が、一気に悪へと転変することもあるのでは無いかと思います。
『子は親を見て育つ』や『子を見れば親がよく分かる』と言われる一方で、『反面教師』や『朱に交われば赤くなる』という言葉があるのは、先天的要素しかり、後天的要素もまたしかりという事象を示しているのではないかと思います。
(・∀・)しらんけど

イルム
たれぱん
「悪→どちらでもない→善」
、、、みたいな感じで、実態はなくて、何か事案があって、その事案が良かったのか悪かったのかということかな。
具体的には、善か悪かを図る対象の事案が必要です。その事案には事案を起こす人と受ける人も必要です。
その3つがあって、善か悪か判定というか、どのくらい「悪」か図る事ができます。
事案を起こした時、影響を受ける人がいなければ、「悪」と判定する人はいません。よって、「どちらでもない」になります。
意図した相手に対して、困る事案を行った場合、その相手が困ると、その相手はその事案に対して「悪」と判定すると思います。
また、意図した相手に対して、困る事案をなぜ行うのかというと、自分の内部に困ることがあって、自分だけが苦しい思いをしているのが辛くて、自分と同じ苦しみを相手にさせたかったかもしれないです。
したがって、「悪」は生まれつきの「性質」ではなく、関係性の中で生じる「評価・度合い」であり、事案の動機は内面の苦しみに起因する「選択」かな。
せい君
他者が悪として選択した結果が悪

コーユー
なぜなら、何かの基準から評価されて、はじめて「善い・悪い」が決まるからです。
もちろん、「悪事」として定められている行為を選択することはできます。ただ、それが悪いことだと知らなかったり、理解できていなかったりすれば、必ずしも悪を選んだとは言えません。
また、善悪は必ずしも二択ではなく、グラデーションでもあります。さらに、一人の人の中に、善い面と悪い面が共存することもあります。
だから「生まれながらの悪人」というより、生まれ持った性質や傾向が、ある社会や倫理の基準によって「悪」と評価されることがある、と考えたほうが自然だと思います。
そう考えると、善悪は時代や文化によっても変わってくるのではないでしょうか。
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