運命を受け入れることと、運命に屈することにちがいはありますか?

isoibeau
受け入れるという状態は、それについての良し悪しをもう判断しないってこと。
だからふたつは違う。
chiaki
屈する事は、
運命は変えられると信じて努力したがダメだった事が理由で諦め、運命を受け入れた事

🍊🍊🍊

フレム・チェンバース

Love child
運命を受け入れることは、
「今ここに起きている現実」を認めること。
ただ、現実を受け止め、認め、受け入れる。
それは、未来を諦めることではない。
と感じます。
「さて、これから私はどう生きよう?」
という未来の選択の自由は残っているような
感じがします。
現実は受け入れる。だけど、
未来は自分で創っていく✨というような…。
一方、運命に屈する。は、
自分の可能性まで手放してしまったような状態に感じます。
現実だけでなく、自分の意志まで明け渡してしまうような、諦め、自己放棄のような状態が含まれるように思います。
「この出来事は変えられない。でも、私はどう生きるかを選べる。」と受け入れるのか。
「出来事も、自分の人生も、自分では何も選べない。」と屈するのか。
そんな風に感じました。

むかで
結果に対してどう思うか?なだけで、言い回しはいくらでもあります。
運命は
良い時と受け入れ難い時に使ったらいいと思います。

jwB
やらないと終わらない

サト
能動的に受け入れるなら「選択」
受動的に受け入れるなら屈するのと近いと思う

世紀末覇者ラ王
朝起きて
天然メタンガスぶっ放した。←運命です。
う〜わ…くっさ…←運命に屈した。
それと、
何気なくプレゼン資料を見直して、あれ?ここをこうしたら伝わるな?と思ったやつが大成功で出世した。←運命です。
だが、
次の案件で失敗をして降格←運命に屈した。
どうでしょう?同じ運命となる現象に過ぎないのに概念は変わります。となれば、
お題の前提でくと。人間は運命というラベルを貼る時、大きな転機、つまり大きな出来事(大恋愛、事業の大成功、予期せぬ挫折など)が起きたとき使うのが運命。
となりませんか?だから私の解釈としては、お題の前提として、運命=変えられない事実。という概念になってるのかな?と思いました。

-FIRE-
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