愛に上下は存在する?
恋愛至上主義が蔓延る世の中、友愛や家族愛、博愛や自己愛、など愛に上下は存在すると思いますか?

ジンバブエゆみか
神の愛は純度100%のアガペーの愛なので、人間は圧倒的に下です。
人間と人間では、上下があったらそれは愛ではなく主従関係ではないでしょうか。
恋愛だけでなく、友愛においても、どちらかもしくは互いに上下関係を察知した途端にギクシャクし出して関係がフェードアウトすることはたまにあることかと思います。

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kon

けんぼぉ−

おぷしゅ⊂(◦ ̍̑• ̍̑◦
この存在するもの全てに愛は存在するので、上下をなんとするか、愛をなんとするかによって有無があると思う人もいるかもやけど、“愛”は宇宙も次元も超えてそこらじゅうにあるものかなーーと思う。

シズ
しかし、恋愛関係の中には「上下が生まれることがある」
「私はあなたを愛している」ということは、本来、私のほうが偉い、あなたのほうが価値が高、 私のほうが相手を所有する、という関係ではありません。
むしろ恋愛は、相手を自分とは別の一人の人間として認めることから始まります。
ところが、恋愛では簡単に「上下」が生まれる
「どちらが相手をより好きか」
「どちらが別れを恐れているか」
「どちらが相手を必要としているか」
「どちらが経済的に強いか」
こうした違いが出てくると、いつの間にか、
好きな側=弱い側
好きではない側=強い側
という構図が生まれることがあります。
でも、これは「恋愛そのものの上下」ではなく、二人の間に生じた力関係です。
むしろ「愛される側」が上とは限らない
ここが哲学的には面白いところです。
哲学者マルティン・ブーバーの「我―汝」という考え方に近いですね。
恋愛でいう「対等」は、
50対50でなければならないという意味ではありません。
今日は自分が相手を支える。
明日は相手が自分を支える。
経済的には一方が多く負担する。
でも精神的にはもう一方が支える。
そういう関係でも、人間としての価値は対等であり得ます。
役割には上下があっても、人間には上下をつくらない。
これは恋愛関係を考えるうえで、かなり重要な考え方だと思います。
「恋愛において、相手より自分を下に置いてしまうのはなぜなのか」
という心理学・哲学の問題につながります。
エーリッヒ・フロム『愛するということ』
最初に読むなら、これが一番おすすめです。
フロムは、愛を単なる「相手から愛されたい」という欲求ではなく、相手を一人の人間として尊重しながら、自分も主体であり続ける能力として考えます
マルティン・ブーバー『我と汝』
少し難しくなりますが、非常に重要です。
サルトル『存在と無』
ここから一気に深くなります。
サルトルの有名なテーマの一つに、「他者のまなざし」があります。
シモーヌ・ド・ボーヴォワール『第二の性』
「恋愛に上下はあるのか」を、社会構造の問題まで広げて考えるなら重要です。
アリストテレス『ニコマコス倫理学』
意外ですが、これも非常におすすめです。
特に「友愛(フィリア)」についての議論。

マーロウ
ただ、愛とは、自分以外の誰かをためを思うことと思う
母からの子への愛のように
夫から妻への愛のように
愛をもつ人と愛する人によって変わる
母は子を愛したが、夫は子を愛していなかったように
愛する主体と対象が変われば、愛の量も変わるだろう
そんなものを比較して何の意味があるのか?
あるとしたら、今と昔を比較して、愛の増減ではないだろうか?[にこやか]

のりん
愛のカタチはいろいろあるけれど…

-FIRE-
少なくとも上下ではない気がするな。

むる
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