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他者と分かりあえることは可能か?その限界はどこか?

人は言語を使用したコミュニケーションによって意思疎通を行なっている。物事に対する共通認識も、一定程度確かに理解し合えていると思う。しかし、他者との言語による認識の差異、ズレは相手との言語能力に大きなズレはないときであってもあるもの。果たしていったい、分かりあえないという言語が苦手とする領域、分野は、どのようなものとお考えでしょうか?
け

け

意思疎通が思考を綺麗に枠取る言語でのみな限り、偶然を抜きにするとわかりあうことは不可能じゃ無いかなあ。。
哲学哲学
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jwB

jwB

分かり合おうとするなら
その人の元になっている考えを知る必要がある
それが分かればきっかけになる
自分の元も分からないと分かり合うのは出来ない
哲学哲学
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jwB

jwB

政治にしろ 反対意見が少しでもあると
崩れる 本当に国を安定させたいなら
100パーセント不安がない世界を作らないと
ならない そのためには一度世界を壊そうという
動きが出てくるのは不思議ではないです
今の仕組みでは世界平和はこないです
不可能はない 人間が力を合わせ
正しく使えば出来ます 固定観念をなくせば
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とんとん

とんとん

身体、心、魂が異なる以上、他者を分かつのは基本、不可能。分かったかのような感覚があるのみ。対話や寄り添いの結果、共感のようなものが得られればラッキー。
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むかで

むかで

言語の根本的な欠陥と、個別の脳みその情報の違い。が問題だと思います。
何故分かり合いたいのか?
分かり合いたいのは、他者を理解したいのか?自分を理解して欲しいのか?
分かり合ったら何が良いのか?
私的には、この衝動は本能だと思ってます。
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Jotak

Jotak

理解力に限界を設定しなければ、言語化出来るもの、例えばロジックは伝達出来ますが、カレーの味や夕日の美しさを言語化を経て完全に伝える事は不可能である気がします
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ギゼン

ギゼン

前提として、自分と他者が分かり合おうとする気概があること が他者と分かりあうための絶対条件であります。

その上で、互いが互いを受け容れるための目一杯の努力をし続ければ可能であると考えています。

その限界は者にもよりますが、いわゆるエヴァの「シンクロ率」を例えに上げるとするならば、受容の器の大きい者ほど他者に対しても高い理解力を持てるのではないかと思います。
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興味

興味

 まず私の結論を申し上げれば、わかり合える、というのは状態の一つとして十分成立し、その限界は、一定の表現から相互にそうであると認識できる場合があるに過ぎない、というものです。

以下、私の検討のプロセスです。

 人間XとYがいたとします。
XとYは、共通の問題、1+1があったとして、いずれも2という解を文字情報として出力したならば、両者はこの問題について見解を同じくし、かつそのことを相互に確認できています。
つまり非常に限定的ですが、Xは、Yは自分と同じ考え、Yは、Xは自分と同じ考えだ、ということを認識しています。
 さて、「わかり合う」とは何かを考えた上で本問についての検討を進めたいと思いますが、「わかり合う」とは、相当程度複雑な、例えば価値観のように解釈自体が複数生じ得るような「情報」について、前述のXとYのように、それぞれが同じ考えを持っている、あるいはお互いが何をどう考えているのかをわかっていると「認識」している状態ではないかと考えます。
 この「認識」を成立させるには一定の表現が必要であり、その中でも言語は比較的安定していると思われます。1+1=2ほど単純ではないにせよ、情報を言語として表現することを積み重ね、その構造を共有できるのなら、この「認識」は十分成立するということです。もちろん、共有しようとする情報構造について、片方が否定する場合は成立しませんので、これが一つの限界です。また、情報構造を共有できていたとして、その処理プロセスが別個である以上、実際には異なる評価をしているにも関わらず、お互いの考えが分かっていると「錯誤」している可能性もあり、これも限界の一つであると思います。人間の内面は他人が知覚できないのであって、「わかり合う」ということは常に「認識」上の状態でしかない、「限界」はそのように言い換えることもできようと思います(なお、言語に寄らず、直感と非言語表現でこの「認識」を成立させている場合も往々にしてあると思いますが、それは、情報処理・評価が確認された場合に「錯誤」と判明することもまたしばしばあるものと考えます。)

 これらから、冒頭の結論に至っています。
ところで本文では言語が苦手とする領域についても尋ねるものになっていますが、これは言語化が難しい事柄と抽象化しそれ以上掘り下げられる気がしませんでした。
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dagdag56

dagdag56

ある程度、人によって違うと思うけど共通する部分を見つけることはできても別個の人間である以上分かりあえるって思うのは幻想なのかなと。
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まりけん

まりけん

人は、他者を自分の経験の外側まで理解することはできない。

だから本当に大切なのは、わかりあうことではなく、わかりきれない相手を、わかったことにしないことなのだと思う。
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