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言葉や概念はなるべく整理した方がいい?

アインシュタインとベルクソンのやり取りとか、物理学者と哲学者とで意見が異なった話は有名。現代でもそういった対立が見られることもある。新しい概念、言葉は時には必要だろうけど、自由すぎるといつまで経っても言葉のゲームから抜け出せなくなる。どこに意味の中心を置くのか?どこから自由に使うのかという線引きはどこでしている?それとも哲学的思考は自由連想であるべき?
ナトル

ナトル

整理するというよりは 簡略化する方がいい
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くま

くま

哲学は科学のように、言葉や考え方をきっちり決められるものではないと思います。だから、言葉や概念を無理に整理する必要はないでしょう。

でも、人に考えを伝えるなら、
できるだけわかりやすい言葉を使うことが大切です。

難しいことをやさしく説明できる人ほど、
自分の考えを相手に正しく伝えられると思います。
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たむい

たむい

物理学と哲学とで意味が真逆の言葉がある。
現象である。
物理学では客観。
哲学では主観。

整理しないまま話すと、意義ある議論にはならない。
言葉や概念の前提は整理すべきだと考える。
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レタス

レタス

そりゃそう
物事を正確に伝えられるのが言語という革命的な意思疎通手段であって、それを手放すのは言語を話す意味がなくなる
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あすか

あすか

言葉や概念を整理すると、理解が深まってコミュニケーションもスムーズになりますよね。
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伯爵

伯爵

例え換えるなら。
日本語を話せる人が、日本人に向けてドイツ語で話すべきか否か?
って質問ですかね。

言葉は所詮ツールなので「対象に向けて解りよい言葉を選ぶ」のが、効率が良い。
対象が限定的なら、その限定に合わせた言葉を。
非限定的なら、多くの方に伝わりよい言葉を選ぶのが、伝達効率が良い。

勘違いしがちな点として
「誰も彼もを説き伏せるための道具」なんてないし、その必要も無い。
その点を間違えないのが「線引き」ではないでしょうかね。
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たくひら

たくひら

これは哲学全体に対しての問いとしてよりも、個々人の哲学のあり方としての問いかと思います。
哲学全体としては、言葉や概念は整理した方が良いか?ということではなく、言葉や概念を整理する学問を哲学と言うわけで、ん?なんだその問いは?と突っ込まれることになります。
問題は個々人が哲学的な思索をする際の態度になります。質問者は理系或いは数学的素養の強い方なのでわかるかとは思いますが、理系や数学においては、「誤解が無いように」数字や公式のような形で物事を捨象して事象を説明しています。一方で哲学はどうなのでしょうかと言われると、哲学を考える上では物事を捨象するとなると「どこまで捨象したか?」という問いとの戦いになってきます。哲学のすぐ近くに論理学というものがあり、それが数学と密接に結びついているのはまさにこの問いが重要ですが…果たして、自らが哲学をする際に置いては、本当に考える時に捨象が必要なのでしょうか。
確かに論文や他者との議論、或いは他者とのコミュニケーションにおいては「誤解や誤謬を防ぐため」にも言葉や概念の整理は不可欠です。しかし、自己の内面での自問自答などを哲学の中心的営みとして捉えていったときには、整理や捨象が必要かどうかは立ち止まって考えてみた方が良いと私は思います。
私はメルロ=ポンティの視線がとても好きですが…彼の哲学的言説は整理や捨象からは生まれないだろうなというのも、今回の回答のベースにある思いとして上げさせていただきます。
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ぐるぐる

ぐるぐる

収束的な思考においては言葉を定義して論理的に語るべきだろうし、発散的な思考を求めるなら言葉の定義をあえて崩したり拡張したりと自由な思考の遷移に委ねる方が得策かと
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あすにす

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した方がいい
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かずら

かずら

整理して、
積み上げて、
混ぜっ返して、
また整理する。
積み木って、その繰り返しで消費するものだと思うよ。
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