自分の営為が、“愛”ではなく“情”であった場合、やめるべきか?また、“愛”なのか“情”なのかはどうやって判断するのか?そもそも愛と情は区別できるのか?

パン

よん

ぽろん
見習い
私の判断基準は、
事実や真実を歪めず、逸らさず、偽らないなら〝愛〟
利他的に動きたいという思いが、結果的に利己的であったとしても存在するなら〝情〟
になります。
私は〝愛〟を事実から目を逸らさない姿勢、真実を見ようとする姿勢じゃないかと考えています。
そして〝情〟とは、心の動く方向が利他的である事かなと。結果的に利己的であるとしても、心がそちらに動くなら。
そして〝愛情〟は、その利己的である事実を見つめ、それでも利他的に動こうとする事ではないかと思っています。

ひろひろ

むかで
そもそも愛と情の境界を説明できるでしょうか?
愛だの情だの言ってる段階は、頭で考えてるし浅いし疑ってるし裏切ります。
質問内容より、そう思う自分の思考をまず疑った方が良いと思います。

サト
愛は関係性から育み築くもの
情は離れたくない繋がっていたいという思い
なんだと思う
愛だけでも成立するし
情だけでも成立する
でも
関係性から築いたものがあるからそばにいたい
だから「愛情」なんだと思う

emus
必要なのは感情以外、一見冷たいとも見られるような合理の判断軸だと思う

ハンプティダンプティ
敗北に似てる
混沌と混乱と狂熱が
俺と一緒に行く♪
ってハイロウズの歌を思い出しました
自分の中の善意を行う対象に愛おしさを感じるか
否かですかね
どちらにおいても後者で続けるならば苦しくなる
事もあるかもしれませんね
ただ複合的な生き物なのでそれだけで営為を判断
出来るものでもありませんね

なぎ
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