哲学を超えるのは何か

ゆか

KINO KO
科学は哲学を超えますが再現性が確認できない領域には哲学を含みます

jwB

豆腐の人生に乾杯
論理に依らない暴力は常に哲学を超えております

ハリハリー

SUZUME
『自然と野生と本能との一体化』
であると考えます。
ー解釈ではなく存在ー
『哲学は世界を解釈』
しますが、
『本能は世界を生存し謳歌』
すると考えます。
ー時間の超越ー
過去の後悔や未来の不安は、
高度な思考(哲学)が
生み出すもので、
野生の世界には
『今現在、ここ』
しかないと思います。
ー二元論の統合ー
正義と悪、
美と醜といった
人間の脳が作った境界線が
自然の圧倒的な循環の中では
無効化される
と考えます。

猫神家の一族

興味
ただしこれは、およそある思考方法、体系がすべからく「哲学の対象となる」という意味であって、「哲学が包含する」という意味での主張です。

憂い顔の騎士

んちゃ
言語の限界を超越した真の言語や論理。世界や人間の真の本質を事実として受け入れられるもの。
目に見えない神の存在が存在すると、神自身が述べたもの。また、神自身に自分がなった時、境界の外側を指し示すことと境界の外側に立つことの区別が必要です。
肉体は置き去りにしても意識さえその世界に存在すれば、哲学を超えた世界を知ることができると思います。当たり前を疑い、物事の根本や「生きる意味」について自分の頭でとことん考えることが哲学です。これをせずとも本質やその実体を知れるのであれば、それは哲学を放棄することになりますので哲学を超えるのは哲学を放棄した時であり、超えたものの先には何もありません。何もないという意図は「哲学からはもう語れない」という認識論的主張の方です。
仮に本質や実体を知ったからといって放棄せず、哲学するのであれば、それは哲学なので哲学を超えることを想像する事はできません。
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