論理と感情をなぜ切り離せない?/どう切り離す?
私自身というよりは、SNSのほか実生活で見ていて気になったのがあります。
意思決定の文脈でよく「論理的には理解したが、感情的には理解してない」とあるように、人間が意思決定するに当たって論理的に妥当か、モチベーションが担保されるか、のような2変数としても扱われます。
(極端ですが、ときにロジックとして/客観的にどうかというよりも感情が優先されることがあったり、逆に感情は無視して杓子定規にどうか、で判断されることもあります。)
もちろん人それぞれだとは思いますが、(たとてば議論の場とかで)どちらに重きが寄るか、なぜ偏ってしまうかについてご意見伺いたいです。
一般論とするか特定の場面を意識するか、主観的に/客観的に見るなど、前提は答えやすいように任意として結構です!

🇨🇽nano㌨
守りたいものの優先度だと思います。
【仮説】
説明では敢えて、論理は正しさと切り離すことにします。
①正しさ→論理
②守りたいもの→自分、恋人、家族、価値観、時間、利益、財産、その他
【解説】
私たちはこれを天秤にかけています。
例えば、守りたいものが正しさであれば、どんな事象が相手でも論理が勝ります。しかし、守りたいものが勝るときは、論理を超えて感情が優先されやすいです。多くはその守りたいものが何なのかという衝突です。特に②同士となると例えば人を守りたい、利益を守りたい等の価値観で衝突します。これは定義から感情vs感情を論理の議題として設置しているため、切り離せません。
切り離すのであれば、①の正しさを優先するしかないと思います。

かなう
論理学は形式としての真偽を論議して結果を導き出すものです。
感情とは論理学の形式的な解答のプロセスを実体験するものです。

てす人
ただ、今の感情を優先するか、もしくは将来的に得られる感情を優先するかによって論理に見えるか否か決まるのだと思います。
どの時点での感情を選ぶかは人によって違います。そこに差異があるからこそ生物は生存できてきたのかなと。この食料は今食べるべきか、はたまた保存しておくべきかなんて自然界では正解は分かりません。優先する時間の個体差を作ることで全滅を避けることができます。
ただ、社会においてはこの個体差は障害となります。特に刹那的な感情の個体差は顕著です。故に可能な限り未来の感情を優先した論理的な会話が社会においては望まれるのかなと思います。

バラタイン

むかで
常に感情がある状態で行動している気がします。
どちらに効果を与えるか?と考えると、遠回りでも感情的に良い効果があるなら、そんな日もありだと思う。
切り離すのは、倫理あたりでしょうねw

はるた
今どんな感情なのか、なぜその感情になっているのか、その感情は正義か(この場合の正義というのは、この感情に任せて行動した場合、自分にいいものをもたらすか)、これを常にしています。
慣れてくると、感情は今こう思ってるけどでも論理的にはこう考えた方が気持ちも楽になるし、何より自分が心の底から望む方向性に進めるなぁって判断ができるようになってきます。
ふとしたときに1人静かな時間を設け、今自分はどんなことを感じてるんだろうって自分に問いかけてみてください。瞑想もいいと思いますし、神社を1人で参拝しても同じ効果が得られます。

ほくと
社会的な問題に対する論理って自分で使わないからあれなんですが、信頼できる情報源の根拠を元にするというまた別の意味なんですかね。
論理って人によって意味が違うから、意味推定の段階で混乱する。
あと、将来的なリスクという未知が判断に関わることもあり、リスク許容度を感情と切り離して考えるのは難しい気がします。
すろぅす

サト
感情を整えるのが思考
思考で組まれたものが論理
論理に納得するのは感情
切り離す必要はなく循環構造だと思う

ei
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