正直、お役に立てそうもありません。自分がそうだ、哲学的だ。なんて思ってもいないし、哲学たらんとして思考してるわけでもない。なんかこう…「それってホンマそうなん?」とか、「もっと芯を食った答えってないのかな?」とか、「真理はどこにあるんだろう?」とか、日々いろんな刺激に対して思考する『癖』がついてるだけなんですわー。例えば不倫騒動とか「なんでそんな大袈裟に世間から責められなきゃいけないの?」なんて疑問に思ったりした時に、企業としてのデミリットは?とか、なら一般人ならいいのか?とか、そもそも結婚という契約に違反はしてるのだろうけれど、生物としてはいいんじゃないか?とか、宗教とか混ざってくるよな?とか。なんか色々考えて「よりフラットな回答はどこか?」みたいな思考をするんですよ。自分が「できるだけフラットでありたい」という願望が根っこにあるからなんでしょうけど。それは哲学っちゃそうだし、単なる思考だといえばそうでもあるので、特に定義はしてないんですよね〜。
孤立する/挫折する/喪失する/絶望する/死にかけるそんな時に人は自分の生や、世界の意味に思い至るのではないかな、と思います。哲学が要らない人生ならそれこそ幸せだと思っていて、哲学をする人は満たせぬ渇きの源泉を哲学を導にしてたどり続けているんだ、と思います。
「できること」であれば…自身の心の動きや思考を観察・記録すること他者の心の動きや思考を観察・考察することそれらが世間・時代の動きとどう関わっているかを考察することとかですかね?哲学はその時代を生きる人たちによって変わりゆく部分もあると思います。