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貴方は、花壇に綺麗な花が咲いているとき、その花壇の上で誰かと喧嘩をしたいと思いますか?

喧嘩をしたがる心理は、その場を花壇と認識できないから? 自分が花を踏みつけていると知覚できないから? 等を考えました。
カツミン

カツミン

思いません
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おにゃに

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花のいのちは結構長い
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3210

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哲学というより価値観の問題では?とも思う。なにが大事か、なににこだわるのか。皆感情がある以上、何かにとらわれると思う。
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おっくん

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普遍的な美や普遍的な正義は存在しないわけで、例えば花壇のうえで、大切な人に刃を向けている人がいる場合、花壇の上だからといって躊躇する人がいるだろうか。
それは喧嘩の範疇ではないとの反論があるとするならば、果たして、怒り、苛立ち、畏れ、悲しみの感情を普遍的な線引きをもって証明しうる人が存在するのだろうか。
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なな

なな

したくないね…
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dagdag56

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平常心であれば争いたいと思わないけど状況次第では争わざるを得ない時もあると思う。花があるだけで争いを抑止できるかは微妙だと思う。
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バラタイン

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綺麗な花が咲いていても、咲いて無くても、その時の自分のストレスによって変わる
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パン

パン

​花壇の花に気づかないほど余裕を失うと、踏みしめていることにすら気づけず、後悔する喧嘩になりそうね😔 壊してしまう前に気づくのは難しいけれど、咲いている花を大切にできる程度の余裕を、どんな時も自分の中に残しておけたらいいね🌷
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たよ

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そこでひけないからけんかになってんじゃないんですかね?
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Lizy

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その瞬間にどこにフォーカスしているかによって、優先順位の優劣はあると思います。
これはその優先順位の中で、喧嘩をどの位置に置くのかという問いではないかと考察します。
先ずは喧嘩の定義からはっきりさせておこうと思います。
ネットで検索して出てきた感じ、裁判にならない程度の個人間の摩擦や争いとあります。つまりこれ、暴力沙汰は暴力であって喧嘩ではないという認識のようです。
そうなると、喧嘩とは暴力を伴わない口論全般となると思います。
口論であればできる場所は選ぶことができます。なので些細な喧嘩なら「人前で話すことではない。放課後に校舎裏で待つ」事ができます。この時はわざわざTPOに合わない花壇で喧嘩することはしないと思います。
しかし周りの聴衆に対して正当性の主張を伴う場合であったり、相手の断罪を行う場合であればどうでしょうか。場合によってはその場の環境を利用して注目を集め、なるべく多くの人に話が聞こえるようにする事もあるかもしれません。一種の炎上商法のように、別の批判的立場を演出することで、自らの別の主張に対する注目も同時に集める事ができます。
この場合、花壇を荒らすことによる批判的な注目によって自らの発言に対する注目を集め、聴衆に対して別の事柄に対する正当性であったり相対する他人に対する断罪を聞かせることができます。
また、逆にそれを阻止する立場でもその場に留まって注目を利用した批判を行う必要があります。
喧嘩を秘密裏に行いたい場合は注目を集めたくないから場所を変えるでしょうし、注目を集めたいなら多少不謹慎な場所であっても喧嘩を優先するのだと思います。
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