貴方は、花壇に綺麗な花が咲いているとき、その花壇の上で誰かと喧嘩をしたいと思いますか?
喧嘩をしたがる心理は、その場を花壇と認識できないから?
自分が花を踏みつけていると知覚できないから?
等を考えました。

カツミン

おにゃに

3210

おっくん
それは喧嘩の範疇ではないとの反論があるとするならば、果たして、怒り、苛立ち、畏れ、悲しみの感情を普遍的な線引きをもって証明しうる人が存在するのだろうか。

なな

dagdag56

バラタイン

パン

たよ

Lizy
これはその優先順位の中で、喧嘩をどの位置に置くのかという問いではないかと考察します。
先ずは喧嘩の定義からはっきりさせておこうと思います。
ネットで検索して出てきた感じ、裁判にならない程度の個人間の摩擦や争いとあります。つまりこれ、暴力沙汰は暴力であって喧嘩ではないという認識のようです。
そうなると、喧嘩とは暴力を伴わない口論全般となると思います。
口論であればできる場所は選ぶことができます。なので些細な喧嘩なら「人前で話すことではない。放課後に校舎裏で待つ」事ができます。この時はわざわざTPOに合わない花壇で喧嘩することはしないと思います。
しかし周りの聴衆に対して正当性の主張を伴う場合であったり、相手の断罪を行う場合であればどうでしょうか。場合によってはその場の環境を利用して注目を集め、なるべく多くの人に話が聞こえるようにする事もあるかもしれません。一種の炎上商法のように、別の批判的立場を演出することで、自らの別の主張に対する注目も同時に集める事ができます。
この場合、花壇を荒らすことによる批判的な注目によって自らの発言に対する注目を集め、聴衆に対して別の事柄に対する正当性であったり相対する他人に対する断罪を聞かせることができます。
また、逆にそれを阻止する立場でもその場に留まって注目を利用した批判を行う必要があります。
喧嘩を秘密裏に行いたい場合は注目を集めたくないから場所を変えるでしょうし、注目を集めたいなら多少不謹慎な場所であっても喧嘩を優先するのだと思います。
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