貴方は、花壇に綺麗な花が咲いているとき、その花壇の上で誰かと喧嘩をしたいと思いますか?
喧嘩をしたがる心理は、その場を花壇と認識できないから?
自分が花を踏みつけていると知覚できないから?
等を考えました。
とくさん
花を見ていたい

伯爵
やけに偏った議題だな、とは思いつつ、真面目に回答します。
ライオンはシマウマを襲うとき、そこが花畑かどうか?を意識するでしょうか?
恐らく意識しません。
では、花畑ではなく、ほかのグループの縄張りであるかどうかは?
これは恐らく意識するでしょう。他ライオンの縄張りを犯せば、抗争が生まれる危険が生じ、自分の群れを危険にさらすことになりかねません。
花壇の花が綺麗かどうか、守るべきかどうか?は、人によって価値観が異なります。花に価値を感じない人にとっては、花壇も地面も変わりありません。
多くの人にとって、花壇の花は守るべきと考えるでしょう。しかし目前の「都合」によって、優先すべきは変わっていきます。
具合が悪くなり花壇に倒れた老人を「花壇なのに!花があるのに!」と老人を非難する声があがれば、あげた人の正気を私は疑います。それは
人の命>花
の価値観が私にあるためです。
喧嘩=悪しきもの
花=良きもの
と前提すると、視野が狭くなり構造の本質を見落としがちになります。ましてや議題は背景に「誰にとっても悪しきもの」「誰にとっても良きもの」という前提があるかのような印象を受けます。
「狩猟と喧嘩は違う」と思うかも知れませんが、それはその通りです。
狩猟が花より大切なら、狩猟>花。
喧嘩が花より大切だから、喧嘩>花。
その構造を伝えたものです。
ことが「喧嘩」ではなく「逢い引き」であったとしても、同様「個体によって花の価値は違うから」。その二人には、花の美しさより、むつみ合う方が優先度が高かった。
逢い引き>花
その価値観の違いだと考えます。

パン

〆さば
でもわざわざ花壇を選んでケンカすることはないし、日々花壇だと認識していればそこでのスイッチは入りにくい様な気がします。
花壇は花壇だと整備されている事が大事だなぁと思いました。

なな

ノゾ
これはアランの幸福論を思い出させる…。
人はなんらかの強い感覚の下にあるとき、他の感覚に対して著しく鈍麻する。
怒りは我々の身体が発する情念の中では最強に近いものだけど、たぶんそれを超えるのが驚嘆。
感動を引き起こすような景観なら、怒りを圧してくれるかもしれない。
花壇の花程度では不足かもしれないけれど、それでも我に返らせるくらいの、他の情念をつれてくることはできそうに思う。

むかで
理性が飛んだ時、か弱い生き物を殺めるか?ですね?
自分と他者をどう見ているか?
自己愛と潜在的な狂気ですねw
良い質問!

Lizy
これはその優先順位の中で、喧嘩をどの位置に置くのかという問いではないかと考察します。
先ずは喧嘩の定義からはっきりさせておこうと思います。
ネットで検索して出てきた感じ、裁判にならない程度の個人間の摩擦や争いとあります。つまりこれ、暴力沙汰は暴力であって喧嘩ではないという認識のようです。
そうなると、喧嘩とは暴力を伴わない口論全般となると思います。
口論であればできる場所は選ぶことができます。なので些細な喧嘩なら「人前で話すことではない。放課後に校舎裏で待つ」事ができます。この時はわざわざTPOに合わない花壇で喧嘩することはしないと思います。
しかし周りの聴衆に対して正当性の主張を伴う場合であったり、相手の断罪を行う場合であればどうでしょうか。場合によってはその場の環境を利用して注目を集め、なるべく多くの人に話が聞こえるようにする事もあるかもしれません。一種の炎上商法のように、別の批判的立場を演出することで、自らの別の主張に対する注目も同時に集める事ができます。
この場合、花壇を荒らすことによる批判的な注目によって自らの発言に対する注目を集め、聴衆に対して別の事柄に対する正当性であったり相対する他人に対する断罪を聞かせることができます。
また、逆にそれを阻止する立場でもその場に留まって注目を利用した批判を行う必要があります。
喧嘩を秘密裏に行いたい場合は注目を集めたくないから場所を変えるでしょうし、注目を集めたいなら多少不謹慎な場所であっても喧嘩を優先するのだと思います。

サト
ネット世論や炎上発言
SNSの不適切動画
自動車の逆走運転
空襲の誤爆
要因は色々あるけど
その行為が狙った相手以外への攻撃になるという
想像力の欠如だと思う

おっくん
それは喧嘩の範疇ではないとの反論があるとするならば、果たして、怒り、苛立ち、畏れ、悲しみの感情を普遍的な線引きをもって証明しうる人が存在するのだろうか。
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