専門用語の多用は議論のため?それとも知識のアピール?
専門的な用語(哲学でも自然科学でも)をかなり多用している投稿を見かけることがあります。
それ自体を否定するつもりはないのですが、時折「読者に伝えること」よりも「難解な用語を使うこと自体」が目的化しているのでは?と感じてしまうことがあります(場合によっては、日本語として不自然になってしまってるものも散見されます)。
ご自身で「あえて専門用語を多用している」という方がいらっしゃれば、なぜその表現を選択されているのか教えてほしいです。大衆的な分かりやすさを犠牲にしてでも守りたい意図や、議論におけるスタンスなどがあれば気になります。
NB
中には分かってて自己の承認欲求を満たす為に使ってしまう面はあると思います。
もしくは無意識に具体化せずに使ってしまう事があるでしょう。
定期的に客観的に自己を見詰め直してリフレッシュする事は重要ですね。

おきもの

涼嶋幸遵
その人が知っていることを全員に伝えたいなら、平易な言い方もすべきかと

らだ

第四検閲室

Mr.メランコリー
「バカは簡単なことを難しく伝え、頭のいい人は難しいことを簡単に伝える」
これに尽きるかと。
簡単に伝えるために使用する必要のある専門用語は議論のためでそれ以外は使いたいだけかと。

メンタイ
議論する気があるのなら、
誰にでも伝わる言葉でないと
意味がないですね

スギちゃん
速攻でググられたらバレるがね

世紀末覇者ラ王
概念を圧縮した“ファイル”のようなものである。だから専門用語そのものが悪いわけではない。
問題は、
それを相手に合わせて翻訳できるかどうか。
本当に理解している人は、
子どもにもわかるように説明できる。
逆に、専門用語でしか説明できない人は、
“言葉”を知っているだけで、
“概念”までは理解できていない場合がある。
アインシュタインの
「6歳児に説明できなければ理解したとは言えない」という言葉の通りだと思います。

〆さば
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