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貴方の認識は『事実』か、それとも『複数存在しうる解釈のうちの1つを自分が能動的に、あるいは不可知的に採用したもの』か。

ざちょい

ざちょい

AIの内在的知性が証明できず、人間もそうだから同じ知性だ、みたいな話と同じで、一つの認識体系を隔てた外界は、そもそも全て解釈に過ぎないですからね。後者でしょう。
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ソル

ソル

後者かなー…
事実ではあるんだろうけど、全ての事実を包括して把握できるわけじゃないし、やっぱり見てる景色って、断片的な情報の一つでしかないんじゃないかなー[ほほえむ]
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〆さば

〆さば

客観的事実ではあり得ないけども、ものによっては十分に「客観的事実の範疇」といってよいかもしれない。このへんは厳密にやるかもう少し緩い概念論でやるかで分かれると思いますが、少なくとも何らかの推測や投影、若しくは錯誤の介入する余地があれば事実とは言い難い。でもどんどん行くと何も事実と呼べなくなってコギトエルゴスム的な感じになりそう。皆さんの回答が楽しみ😊
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ねぎどん

ねぎどん

後者 50になっても 知らない事ばかり
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こみ

こみ

事実って不変的な、再現性のある
いわゆる散らかった後の世界というか…
後者だと主観的だったり、散らかってる最中だったり、例えば立方体を右から見るか上から見るか的なことだったりなのかなと思う
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着物男子(⛄️

着物男子(⛄️

事実というのはこの世界の主体の数だけあると思う
 ただそれはそれぞれが一人よがりではない
 例えばある一つの事象にたいして
例えばAさんにとっては事実はAであり、Bさんにとっては事実はBだとする
 AさんとBさんで感じている事実は違う

しかし、Aさんにとって事実B自体は事実ではなくても「Bさんにとっての事実Bは確実にBさんにとっての事実Bである」のはいえる
 これはAさんとBさんの立場を逆にしても同じことがいえる

つまり事実とは主体に関係なく転がっているのではなく、また各々が勝手に作りあげてるものでもない

それは主体と別の主体同士の相互理論から始まるのである
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ナトル

ナトル

あくまでも 私個人の発想と思想と偏見です
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サト

サト

『認識』って
「自我が五感レンズを通して事実に触れた時の実像あるいは虚像」
だと思ってる
後者の方が近いけどなあという感じ

実像虚像はレンズが作る物理現象で比喩った話ね
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恵風

恵風

強いて言うなら能動的に採用したものかな
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セナ

セナ

後者、事実を脳に入力した後それぞれの個人の脳の性質にしたがって出力される。どこにという言語化が難しいが、
てか私は色弱だから事実というべきかわからないが少なくとも一般の方に見えてる色の世界と私の世界の二つは視覚的に存在している。
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