概念は「ある」か

モンブラン
暗黙のルールも見えないけどあるもの

カカ

くらら♂
と問うのが仏教だったりするわけだが。
俺は怒りも悲しみも喜びも感じることができるけれど、たった一人の世界だったら、こんな鮮やかな感情表現って生まれただろうか?
だったら、俺の怒りも悲しみも喜びも、誰かとの共有財産なんじゃないの?
そも、一人きりで何に怒り、いつ悲しみ、何のために喜ぶのか。
……アンパンマンだな、これ。
感じるということが、実在を意味するとは限らない。他者との共感の間に生まれた蜃気楼なのかも知れないからね。
いやでもそれなら、大事なのはその関係性であり、概念は本質じゃない。
概念って現象の影なんじゃないか?
現実は複雑すぎるから、大事な要素だけを抜き取ったエッセンスを概念と呼ぶと思うわけ。
それなら、みんなが概念と呼びながら、見てるものはその実奥にある現実の方なんじゃないの?
それなら影に実在性はないんだから概念もない、ということになる、か?
まぁ、影あるじゃん! って言われたら、そういう言い方も出来ますね、としか言えねぇな、これ。

🌈よっさん

白髪ネギ

臆病クラゲ
そして脳内にあるものは媒体に保存が可能なので「ある」
でも風化がどんなものよりも早いから見えない人もいる
だから「ない」という意見も出てくる

ギゼン
媒体としての存在として「ない」
つまり、頭の中にあり、空間の中にはない、と思う。

コパ🔍
せい君
やっぱり無い

しんや
そうでなければ、事物といちいち全身全霊で対峙せねばならないように感じております。
そうでもしなければ、ヒトの五感の受容と処理は、忙しすぎます。貧弱なWi-FiとスマホでHD動画を観るようなものではなかろうかと。特に、現代社会においては。
そうして、もっと事物を簡略化して捉えたい時には、類型が役立つのではないかと。
逆に、瞑想の技法などはこの概念を解除することで、『一瞥』を体験した人たちが、「日常の風景が、ありありと鮮明に観えた」というのは、こうした背景もあるかもしれませんね。
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