弱さを優しさと勘違いされます。弱さと優しさの違いは何でしょう。
よく「弱さは人を傷つけられない、優しさは人を傷つけられるけどしない」と言うけど、「人を傷つけることができてもしたいと思わない」場合人を傷つけられないのか、しないだけなのかはどう区別する?

とくげん
一般的に女性は「か弱く優しい」(怒られそうなので予防線を張ると、あくまで一般的な話です)
って、つまらない話があります。
弱さがネガティブで優しさがポジティブな印象を多くの人が受けていることにも依存すると思います。
私は、弱さとは長続きしない力。
優しさとは持続が難しい力、だと思っています。
理由は以下です。
イワシは日持ちがしないので「弱い」と昔の人は考えましたし、通知表の「憂・良・可」を人に当てこんで「優」と言うのも人であり、同時にそれを評価するのは他人です。
あんまり気にしなくて良いんじゃない?と思います。他人が決める気質なんてわたしはどうでも良いと思います。

じゃんく
「傷つきやすさへの感度」
なんだと思いますね。
そしてそれがどの方向に強く向いているかでその人に貼られるラベルが変わっているように思います。
自分を守る方向 → 弱い
他者を守る方向 → 優しい
関係を守る方向 → 義理堅い
場を守る方向 → 大人っぽい
など
ただ、これはあくまでもどの方向が強く見えるか?であって他の方向へと向けられている成分が0ということはないと思っています。
(例えば他者を傷付けないことが自分を守ることになるタイプ)
だからこそ、たとえ弱さが主軸に見えてもその裏にある優しさなども同時に認めることって大切なんじゃないかと思います。
それが他人であっても自分であっても

さはら
本当の優しさではないような気がします。
ただ自己保身のために、人の下に潜り込んでいるだけ

ねこぜ
強くなければ優しくなれない
優しくなければ強くもなれない

風の音
「弱さとは、人を傷つけられないこと」
「優しさとは、人を傷つけられる立場の人がしないこと」
についての例外(そうでない場合もありますよ、という状況)を検証します。
強い・弱いが、心や肉体的の比較であるどちらの場合でも例外はあります。
「子供と大人の立場」です
子供は大人より弱いはずですが、悪意はなくても親を傷つけることはできるし、優しくもなれます。
飼い主が悲しんでいるとペットが慰めにきますが、それは「傷つけられるけどしない」という考えや立場での感情ではないでしょうね[照れる]
では、お題の内容が成立する状況は何でしょうか?
おそらく、以前、どこかのお題にあった「パワハラとその被害者」の関係性について語っている一部じゃないでしょうか?
相手を傷つけたくても(正論を言いたくても)できない、生活のために我慢する被害者。そして、パワハラをする人にたいして「やめて欲しい」という願いを込めた「その立場の人が、それをしないこと」というやんわりとした説教
そのシチュエーションでしかこの言葉をよく使う状況が思い浮かびませんでした[にこやか]
俺としては、上司などがパワハラをしないのは「人間性」だと思うので、強さや優しさはそのパーソナリティーの一部にすぎず、そもそも弱さ(パワー)と優しさ(感情)は同軸じゃないと思いました。

サト
弱さは状態、優しさは性質なのかな
勘違いされたというより
自分にとって弱さと感じてる部分から現れる優しさが見つかっただけだと思う

Rush

きなこ
っていうマーロウの言葉が好きなんだけど、優しさは強さを含んでるので時には厳しさもあるものだと思います
弱さは自分が傷つきたくない、自分本位なもので優しさは他人のためにおこなうものかなぁ
難しくてよくわからないけど笑
🪽天使Stella
とは、その人の『繊細さ』や『危うさ』だろうし
優しさとはある意味では『強さ』でもあって、
例えばですが、あなたは普段はバリバリ働いて
何らかのチームをまとめ上げるバリキャリだったり
すると思うんですよ。そんな方がふと見せる『弱さ』は『繊細さ』に繋がり、『優しさ』とも解釈をされるのかなとも思います。

パン
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