自分は確かにここに存在しているけれど、なんだかどうしても相手は必ずしもそうではないと感じるのは何故なんだろう。

ヤス

明
ティリル
自分がカレーライスを食べて美味しいと感じているように相手が感じているかが知り得ない。
面白いですね、この世界って。

SUZUME
というのは
『形あるものは
いつか必ず壊れたり
無くなったりするもの』
『人は裏切ったり
掌を返したりする可能性も
捨てきれない』
と思っている為に
『自分以外は
いるがいないもの』
という
自分以外の存在が
必ずしも
存在しているわけではない
と感じているのでは
ないでしょうか。

TUNE

むかで
相手もあなたの事をそう思っているという事。
それが多岐にわたるという事。
それをもっとよく考えれば、、
私ってなんだろ?という質問になると思う。
考え方は色々ありますし答えはわからないですが、「自分は確かにここに存在している〜」の段階でピクピクしている人は多いと思います

伯爵
「我思う、故に我あり」
あなたが「思う(思考する)」それを知覚するからこそあなたはあなたを確信できますが、他人の思いはわからない。故に核心に及ばないのかもしれませんね。
極論ですが、人はいわば「自分か、自分ではないか」の区別しかできません。
自分の脳が外部情報を信号にしたものを受け取ります。それは「あなたがそう受け取っている」というだけの存在に過ぎません。あなたが受け取る信号は、あなた以外に知覚しようがありません。
「りんごは誰にとっても赤い」は虚実です。日光が出した光をりんごが反射して、視神経がそれを捉え、脳に伝えています。うさぎの目には何色でしょうか?蜂の目には何色に映るのでしょうか?
人と人とは、それを便宜上「赤」と定義し、共通認識として前提しているに過ぎません。
このように「共通認識は所詮まやかしで便宜上の定義に過ぎない」と認識しているからこそ、外部刺激を「確信できない」と思えているのかもしれません。

ナトル

アストラ
自己世界にとってヴァーチャルな存在になってしまう 逆に相手がその場にいるなら意識が通じ合い、高次の観測が成立 相手も確かにいると意志を疎通し合う 自己意識だけなら 自分の意識が自分を観測し続ける 中心自己が失われていないなら

薫
やっと気づいたんだね。
黒い歪み多くなったよね。入らない方がいいよ。
君じゃ出てこれなくなっちゃうよ
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