『日本人は、スパゲティは啜らないのに、ナンは左手を使って両手で食べる。』❶マナーが社会的に成立するには、❷マナー認識が個人的に成立するには、何が必要なのか?
哲学コミュニティですので、感覚的回答はご遠慮ください。
なぜそう考えたのか、理由、機序、構造等の思考の痕跡を残していただけるとありがたいです。

くらら♂
例えば円卓に座っていて、右のナプキンと左のナプキンどちらを取るべき? という問いに対する答えが一文目。
現在日本の茶会では、お茶の器を3回回すとか作法があるが、これもそれぞれの流派の始祖が決めた。
つまりマナーは偉い人がそうしたからそうする、という真似から社会に一般化される。まぁ、みんなアホじゃないから、その裏にある意図は汲んでると思うけどね。お茶を点てる時の作法だって、温度の調節とか科学的な根拠や合理性に基づいたものがほとんどだし。
なので、②は他人に所作を真似されるほど地位が上がると個人のマナーが社会を侵食し始める。そして、個人のマナーがなぜ生まれるのかという問いには、美意識と合理性と言う回答になるかな?
昔のテーブルマナーは、王様がおふれを出してルール化したって話も聞いたことあるし(実際、エチケットの語源はルールの書かれたチケット)、日本でも偉い人とか影響力のある人がナンを左手で食べるのはマナー違反! って言えばそれに追従するんではなかろうか。

モリシ
2.個人的に成立、の意味がよくわからないが、マナーを守らなくてはいけない、という意識が個人のなかで芽生える理由について答えるなら、日本人はみんなと同じじゃないと恥ずかしいから、という理由がある。
たとえば、お箸を綺麗にもてないとまずいのはなんでだろうか。お箸を綺麗に持てないのはダサいとか無教育だとか思う人が多いからである。これが社会的マナーの側面。個人がこのマナーを守るとき、日本人の場合は、この集団の価値観が個人の中にコピーされていて、個人のなかでも集団の価値観が強い存在感をもち、個人を突き動かしている。

Jotak

Lizy
郷に行っては郷に従え
これに尽きる

並行次元
❶社会的には学校教育からやらない限り適当な部分に占領されていきます。つまり無秩序になる
❷やはり親や先生や先輩などの上下関係によって指示系統がハッキリします
これらは別に私は良いと思ってません。

明

きゃん

シフ
そもそもインドで食事に左手を使わないのはナンだけの話じゃない。インド式なら米も右手だけで食べる。
欧州では『音を立てて食べる』行為が下品なので、日本の伝統食であろうが蕎麦やうどんを啜るのも悪印象になりかねない。
ただシンプルに、スパゲティは啜る必要が薄いから受け入れられている。箸では持ちにくいのでフォークを使い、フォークを使えばまとめて口に入れるので啜らなくても全て一口で収められる。麺としても細いものが多く、うどんなどと違い空気と混ぜて冷ます必要性が薄い。だから食べ慣れていない人が啜る程度。マナーとして啜らないのは後付けで、啜る必要性がないから啜らない。
が、ナン等の右手だけで食べるというのは、そもそもインド等は素手で食べる風習があり、両方の手を汚すと何も触れなくなって後で困るから。(触ってもそこまで汚れない)ナンが問題ではなく、ナンと一緒に食べる液体のカレーとかに素手を突っ込むことが問題だと思う。手を汚す想定だから片手だけに汚染を抑えていて、それを後世にも『教育するために宗教的な、マナー的な意味を与えられた』ものだと思う。
日本人はナンカレーでもナンは手で千切るけれどカレーはスプーンで掬うでしょう。手を汚す前提じゃないのでフィンガーボウル(手を洗うための水を入れたコップ)も出て来ないし。
機能性を無視すると、『実際に目の前にいるそのマナーを持った人を不快にさせないための特別な気遣い』としてマナーを守ることはあるが、平時では中々定着しないと思う。

ぬらぺっちょ
左手で物を食べるのは、見ていて食欲を無くす。
日本でもその事を知ってたらインド人の前で左手で食事するのを遠慮するでしょ。
そうゆう気遣いがマナー。
知らなければインドに行った時には、そこのマナーに従うのが礼儀。
日本人は左手でウンチ拭かないでしょ。だから日本人だけの食事なら、そんなマナーは存在しない。

ラズー
マナー認識、そして実行はそれほど大切なものではなく、個々人が人前で恥ずかしくないくらいのものを持ち合わせていればいいと思います。
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