ここにドーナツがある。このドーナツを食べたらドーナツは無くなってしまう。しかし、咀嚼して飲み込んだだけともいえる。ドーナツは“いつ”無くなるのか?
感覚的回答はご遠慮ください。
哲学コミュニティですので、短文回答だけでなく、理由・構造・どう考えたのか等の思考の痕跡を回答に残していただけるとありがたいです。


ケンぽむ号

山本二十六

フレム・チェンバース

wolf
じゃあ写真撮ってプリントしてそれと入れ替えて食べる
コレでこのドーナッツは永遠に残せるしお腹も満たされる

ハンプティダンプティ

tetra
私は、今ドーナツと向き合っている。
1.視覚的考察ːこれはどうみても私の知るドーナツだ。 Yes 私の知りうるドーナツは中心がくりぬかれている。 No 穴あきでないのはドーナツではない。ただの揚パン
2. 触感的考察:食べるため手に取る。
Yes:やわらかい触感。No:木みたいに硬い。フェイク?
3.におい:かいでみる。Yes 私知る匂い。No,木の臭い。食べれない。
長くなりましたが、私がドーナツを食べるものとしてのドーナツとして認識している限り、私にとってドーナツ🍩は、無くなっていないといえる。前述のとおり、NO であれば、その時点でドーナツではなく、"ドーナツのようなもの”たらん。
果たして、私はドーナツを咀嚼するが、ロに入れている時は、まだ、そのドーナツなのだ。そしてて、その後は私はそれをドーナツとして認識している限り、それが、後に私があのドーナツを食べたことを思い出したとしたら、そのドーナツはまだ無くなってはいないと言えると思う。つまり、私がそのドーナツを認識しなくなったとき、無くなったと言える。
これは、お気付きの方も居られようが、某漫画ワンピースのDr.ヒルルクの言葉に着想を得たものであること、申し添いたします🙇(泣)

NB

風の音
・第三者の視点
皿の上にあったドーナツが自分の口の中に入り「無くなった」
・自分の視点
皿のドーナツは口の中だが、「ドーナツうめぇー」と脳が堪能している間は存在する。
ドーナツの形🍩は崩れても、味や栄養素等の要素や性質を脳が認識している間は「存在する」と言えます。
また、お腹を満たして消化しきるまで満腹中枢を刺激している間も存在していると言えます。
・エネルギーの視点
消化したドーナツのエネルギーは熱・運動・脂肪(笑)のエネルギーになって体内に保存されます。
カロリーとして動力源となります。
そして、息を吐いたりうんちを出したりと、エネルギーは体外に放出され、還元される繰り返しになるので「いつまでも存在する」と言えます。
・記憶という視点
「あの時食べたドーナツうまかったなぁ…どこの店で買ったっけ?」など、時は流れても記憶としてよみがえる限り「そのドーナツは存在する」とみなせると思います。
“昔食べたあの味が忘れられない”と全国のミックスジュースを飲み歩くのは、記憶の中にそのミックスジュースが存在するからです。
亡くなったあの人…別れたあの人…さんざん苦しめられたアイツ…
これらは「引きずる」というネガティブなものではなく「残っていた記憶を時々思い出す」自然な現象なのです(蛇足笑)

メンタイ
「シュレディンガーのドーナツ」として
無くならないかもだね🍩🐈

じゃんく
そこで、水だった場合どうやって消すかを考えた時
''コップの中の''水、のように範囲を指定すれば消せるなと思いました。
そしてドーナツの話に戻るとなぜ回答が分かれるか、
これはドーナツという単語が自然とどんなドーナツかの''どんな''の部分を省略できるからなのだと思いました。
つまり、''どんな''の部分を人はどこまで省略できるのか?
ここが論点なのだと思います。
で、いつなくなるかについての回答ですが
・現実寄りに考えるなら
最後の欠片を飲み込んだとき
・抽象寄りに考えるなら
形を変えるだけでドーナツを構成していた成分がこの世から全て無となることはありえない
といった感じですね
最後に、今回の回答を経て、
「ドーナツの魂はいつ消えるか」
こんなのも回答が分かれそうで面白いなって感じました。
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