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ここにドーナツがある。このドーナツを食べたらドーナツは無くなってしまう。しかし、咀嚼して飲み込んだだけともいえる。ドーナツは“いつ”無くなるのか?

感覚的回答はご遠慮ください。 哲学コミュニティですので、短文回答だけでなく、理由・構造・どう考えたのか等の思考の痕跡を回答に残していただけるとありがたいです。
フレム・チェンバース

フレム・チェンバース

ドーナツの あなは いつ たべたんだい!?
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モウダ

モウダ

まず、ドーナツは2つの見方でなくなったと捉えられると考えました。

1. 元あった空間から別の空間に移ったことで、元の空間からドーナツがなくなったという見方
2. ドーナツの性質が失われたことによりなくなったという見方

1については、”外”の空間にあったドーナツが”体内”の空間に移ったことで”外”の空間にあったドーナツはなくなったと見ることができます。

2については、ドーナツの”食べられる”性質や”輪っかの形状”という性質が、咀嚼されたことによりドーナツから失われ、ドーナツではなくなるという見方です。

なので、”いつ”なくなったのかは、以下の3点の認識の仕方で意見が変わってしまうのではないかと思います。

1. ドーナツが存在する”空間”をどうやって区切るのか
2. ドーナツの”性質”がどこまで失われたらドーナツではなくなるのか
3. ドーナツが存在する”空間”からなくなったことと、ドーナツの”性質”が失われたことのどちらに重きを置くのか

なので、”いつ”なくなったのかは上記の3点の認識の仕方によって変わってしまうため、いつなくなったのかを定義するのは難しいと思います...

ただ、これが回答として十分でしょうか?
また、この回答に対して反論がありましたらお伺いしたいです。
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ゆう

ゆう

気になってるあの娘のこと考えたら2分後だ。
今何時だと思ってる?
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明

感覚は排除したいのに、無くなるって感覚語を使ってるのが面白い
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tetra

tetra

これは認識主義に立ってみて、
私は、今ドーナツと向き合っている。
1.視覚的考察ːこれはどうみても私の知るドーナツだ。 Yes 私の知りうるドーナツは中心がくりぬかれている。 No 穴あきでないのはドーナツではない。ただの揚パン
2. 触感的考察:食べるため手に取る。
Yes:やわらかい触感。No:木みたいに硬い。フェイク?
3.におい:かいでみる。Yes 私知る匂い。No,木の臭い。食べれない。
長くなりましたが、私がドーナツを食べるものとしてのドーナツとして認識している限り、私にとってドーナツ🍩は、無くなっていないといえる。前述のとおり、NO であれば、その時点でドーナツではなく、"ドーナツのようなもの”たらん。
果たして、私はドーナツを咀嚼するが、ロに入れている時は、まだ、そのドーナツなのだ。そしてて、その後は私はそれをドーナツとして認識している限り、それが、後に私があのドーナツを食べたことを思い出したとしたら、そのドーナツはまだ無くなってはいないと言えると思う。つまり、私がそのドーナツを認識しなくなったとき、無くなったと言える。
これは、お気付きの方も居られようが、某漫画ワンピースのDr.ヒルルクの言葉に着想を得たものであること、申し添いたします🙇(泣)
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じゃんく

じゃんく

まずこの設問がドーナツではなく水だったらもっと厄介だなと感じました。
そこで、水だった場合どうやって消すかを考えた時
''コップの中の''水、のように範囲を指定すれば消せるなと思いました。

そしてドーナツの話に戻るとなぜ回答が分かれるか、
これはドーナツという単語が自然とどんなドーナツかの''どんな''の部分を省略できるからなのだと思いました。

つまり、''どんな''の部分を人はどこまで省略できるのか?
ここが論点なのだと思います。


で、いつなくなるかについての回答ですが
・現実寄りに考えるなら
最後の欠片を飲み込んだとき
・抽象寄りに考えるなら
形を変えるだけでドーナツを構成していた成分がこの世から全て無となることはありえない

といった感じですね


最後に、今回の回答を経て、
「ドーナツの魂はいつ消えるか」
こんなのも回答が分かれそうで面白いなって感じました。
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たれぱん

たれぱん

ドーナツは食べ物なので、口の中に収まった時点でなくなったと考えます。
その時点で食べられるドーナツはなくなったので。
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キニラ

キニラ

食道を通過した時に無くなるかな。

口の中に入れて咀嚼してる時はまだ「ドーナツを食べている」が、喉元を通り過ぎたらそれはただの栄養源であってドーナツでは無くなっているから。
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風の音

風の音

「視点」を分けて考えると整理しやすいと思います。
・第三者の視点
皿の上にあったドーナツが自分の口の中に入り「無くなった」

・自分の視点
皿のドーナツは口の中だが、「ドーナツうめぇー」と脳が堪能している間は存在する。
ドーナツの形🍩は崩れても、味や栄養素等の要素や性質を脳が認識している間は「存在する」と言えます。
また、お腹を満たして消化しきるまで満腹中枢を刺激している間も存在していると言えます。

・エネルギーの視点
消化したドーナツのエネルギーは熱・運動・脂肪(笑)のエネルギーになって体内に保存されます。
カロリーとして動力源となります。
そして、息を吐いたりうんちを出したりと、エネルギーは体外に放出され、還元される繰り返しになるので「いつまでも存在する」と言えます。

・記憶という視点
「あの時食べたドーナツうまかったなぁ…どこの店で買ったっけ?」など、時は流れても記憶としてよみがえる限り「そのドーナツは存在する」とみなせると思います。
“昔食べたあの味が忘れられない”と全国のミックスジュースを飲み歩くのは、記憶の中にそのミックスジュースが存在するからです。

亡くなったあの人…別れたあの人…さんざん苦しめられたアイツ…
これらは「引きずる」というネガティブなものではなく「残っていた記憶を時々思い出す」自然な現象なのです(蛇足笑)
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コーユー

コーユー

物理的に考えると、食べても形が変わるだけで完全には消えていません。ただし、今回はあえて日常レベルで考えてみました。

結論から言うと、ドーナツは「食べたとき」になくなります。ここでいう「なくなる」とは、物理的に消えることではなく、そのものとしての役割や使い道が終わることです。

ドーナツは食べ物なので、食べた瞬間にその役割を果たし、「ドーナツとして扱われる状態」ではなくなります。だから私たちは、「ドーナツまだある?」に対して自然に「全部食べたよ(もうないよ)」と言います。

この考え方でいくと、水も同じです。体の中に残っていても、日常的には、飲んだらなくなったと扱います。レストランで水を頼んだら、ウェイターに「あなたの中に残っていますよ」って言われたら、ムッとしますよね。

一方で、少し視点を変えると面白いです。
例えば、食べた後でも状況によっては「ドーナツ」として扱われることもあります。例えば、司法解剖で証拠として見つかるなど。また、ドーナツにガソリンをかけた瞬間に「食べ物」としての役割を失い、ドーナツではなくなる(ゴミになる)とも言えます。

つまり私は、日常レベルでは「なくなる」とは、その対象がどんな役割で見られているかに依存すると考えます。
そしてその役割は、人や状況によって変わります。だから厳密には、ドーナツがいつなくなるかは一つに決まるわけではありません。

ただ、日常の感覚に最も合う答えはやっぱり
「食べたときに、なくなる」だと思います。
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