正しさは、行動の基準なのか。それとも、行動しないための理由なのか。
正しさは本来、判断や行動を支える基準のはずです。
しかし現実には、それが行動の停止理由として機能している場面も見られます。
ここで気になるのは、正しさそのものの問題なのか、それとも正しさの使われ方の問題なのかという点です。
同じ正しさでも、行動を導く場合と、抑制する場合があるとすれば、その分岐はどこで生まれているのでしょうか。
その正しさは、あなたを動かしていますか。
それとも、止めていますか。
やっちん坊♂
僕的には🎯正しさとは🆕嘘を出来るだけ🤥
吐かない事かなぁ〜❓自分に出来るだけ正直🫶
である事かなぁ〜😘

モンキーモンちゃん
H君

ちゅん

モリ
その正しさ、というのはどの正しさでしょうか?
効率的な正しさなのか、倫理道徳的な正しさなのか。それとも文化的な正しさ?
多分、後者二つ的な「正しさ」を言ってるのでしょうかね?
確かに後者二つの正しさの場合、人の行動を抑制する働きの方が強い気がします。いわゆる「保守的」と言った奴です。
でも効率的な正しさの場合は真逆のイメージですね。より効率化する為に後者二つの「正しさ」を置き去りにする……。
でも、「やる、やらない」の判断って言うほど「正しさ」が最初に来るでしょうか?
まず、「やるかやらないか?」の答えが出て、その後に理由付けとして「正しさ」を付け加えてるだけなのでは?と、思ったりもします。
勿論、熟慮の上行動するパターンもありますから、その限りではないですが。
でも人間の脳って結構無意識のうちに合理的な判断を下すものらしいですよ。
自分が文化的、倫理的に正しいと思って起こした行動も、意外と脳が無意識に合理的な判断のもと「効率的に」決断を下したのかもしれません。
つまり何が言いたいかと言うと、「正しさ」は別に行動の基準でもしない為の理由でもありません。因果関係が逆だと思います。

まが⸒⸒⸒⸒
人は正しいと判断した(信じた)ことを行動に移すと考える。その判断が常識や感情に支配されていても、直観的であったとしても一瞬のうちに正しいと判断した結果であるはず。
逆に、正しいと思ったこととは別の行動をとった場合、それは身体や心の悪い状態が枷になっているのではないか。
したがって、正しさは行動の基準と言え、もし行動を妨げられたとしても、その原因は正しさではなく人の状態にあると考えられる。

むかで
物理的に動かない事が動いていない事にはならないと思います。
分かれ道でどちらを選んだか?なだけでしょう。
どちらを選ぶか?は正しさだけで判断している訳ではないと思います。
私がより良く生きる事が正しいとするならば、動かないという選択もあると思います。

✴︎Asaka✴︎

サト
ただ個人的意見なんだけど
正しさは行動や判断の結果に貼られるラベルであって
判断の基準にすると自分の正しさを相手に押し付けることになりかねないなという気がする

ゼブラ
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