幸不幸のバランスとは?
生活の中で今日は良い日だ、人生最悪な日だ、って感じることがあると思います。ずっと幸せでいるのが一番ですが現実はそうでもない。嫌なことが入ってきます。
幸せがあるからこそ嫌なことも一層逃げたくなる。しかしその逆も然りで、嫌なことがあるから幸せをかみしめられるでしょう。
その上で豊かな生活のために不幸は必要なんでしょうか?

ちょり
幸せだという者は不幸に目を向けず
不幸だという者は幸せに気付けない

ニコラ・テスラ

コウ·アガサ
だるま落とし

山田
そのような言葉を残した詩人がいます。
不幸が多くとも、その半分は幸福として戻ってくると思えば、不幸も悪くないものかもしれません。
だるま落とし
『何かと比べなきゃ感じない』のと
『比べなくても感じられる』のとあるみたいですよ。
『不幸というスパイス』が効いてる方がより『比較した幸せ』って感じられますが、比較しないで幸せを感じられる人にとって『不幸のスパイス』すらも幸せに感じることが出来るみたいです。
考え方や受け取り方が変わればバランスなんて無いんじゃないっすかね。

憂い顔の騎士

夏目
苦労もそれなりにしたけど、なんやかんや楽しかったなって終われる人生がいい。
数年前まで、結構ハードモードで不幸続きだったので、代わりにこれから先はしばらく幸せが続く!って言い聞かせてる。
今は努力はするけど、断る時は断って余計な苦労を負わないようにしてます。

〆さば

りら
…が、判りやすさの観点では必要かもしれません。
不幸な事象と“比較”した時、これは幸福であった」と、後から結論付けて見ている相対評価だと考えるからです。
少し乱暴な言い方をすると、幸不幸の区分とは、感情を納得させるための論理。
豊かさを噛み締めるための相対評価として不幸が必要ならば、基準となる「不幸」も、その対となる「幸」も必要でしょう。
逆に言えば、事象を絶対的なものとして捉えるなら、幸不幸という概念そのものが不要だと感じます。
私自身、感情を納得させるための手段として、相対評価である「幸不幸」は持ち出してしまいます。
振り回されてしまいがちですが、波がある分、やはり幸せが嬉しいのです。
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