怒りとは、本当にただ抑えるべきものなのだろうか。それとも、見えにくいズレや違和感に気づくための働きなのだろうか。
怒りとは、ただのイライラではない。
「それは違う」と気づいたときに生まれる、ズレや違和感を知らせるサインである。

世紀末覇者ラ王
ただ、怒った理由を知るだけでは足りなくて、
なぜその理由が、自分の中で怒りとして生成されたのか
まで辿ることで、怒りの根にある前提や意味が見えてくる。
そこまで分かると、怒りそのものに対して納得が生まれることがあります。
感情は瞬発的に立ち上がるものなので、リアルタイムでは感情そのものを抑え込むというより、まず言葉や行動をいったん抑える。
そして後から内省するときに、
「なぜ怒ったのか」ではなく、
「なぜそれが怒りになったのか」
を見つめる。
私にとって怒りは、抑え込むものというより、後からその意味を理解するための入口です。
もちろん、納得できたからといって、次から同じ出来事に怒らなくなるわけではありません。
同じように感情は湧きますし、心の痛みもちゃんと伴います。
ただ、感情に飲まれて自責や他責へ向かう前に、
何が起きたのか。
何を感じたのか。
なぜそう解釈したのか。
を仕分けることで、自分の感情を自己受容しやすくなり、そこから納得が生まれるのだと思っています。
つまり、喜怒哀楽は、私の中では自然に生成される感情現象だと捉えています。
感情そのものを無くすのではなく、その現象に対して意味づけをするときに、
「なぜこの感情が生まれたのか」
まで理解できれば、その感情も受け入れやすくなる。
私はそのように考えています。

ラスカル
上手に怒りを発散できる人がいいんだと思う。
しかし人からの「怒り」攻撃を受け続けると、今度はまた口論になったり腹を立ったりするのでむずかいものだなぁと思う

タイリー

たむい
そう認識することで
怒りは抑えるものではなくなる
怒りではなく哀れみの感情となる

ミサキ
“気付き”
ではないでしょうか。
また、それを他者示すための
“線引き”
てはないでしょうか。
ここは譲れないという意思の現れ…
それが怒りではないでしょうか…😯

優

rスズキ
ただ、現在の人間社会にはそんなに危機的な状況になる事は少ないので、怒りそうになったら視点を変えてなんて事のない事象に組み立て直せたら良いなと思ってます。

ねぎどん

みきや

すずめ
必要なのは怒りの伝え方と、伝えるべき相手かを判断する能力。
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