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「理解」とは、相手に近づくことなのか。それとも、自分の枠に当てはめることなのか。

あるいは、 その区別自体が、成立していないのだろうか。 私たちは、本当に「他者」を理解しているのだろうか。
風の音

風の音

例えば芸能人や著名人をウィキペディア等で詳細に調べたとしましょう。
ある意味、生い立ちや功績、信条なども知らない仕事仲間よりも、会ったこともない有名人のほうが「理解」は深まると思います。
この例で言えば、お題の“近づくこと”とは「興味・好奇心・好き嫌い」等のきっかけで、「枠にあてはめる」にも書いてある情報以上はあてはめられません。

では、仕事仲間や好きな人のことをもっと理解するにはどうしたらいいでしょう?
ウィキペディアで調べる?それとも想像や妄想を膨らます?
大半の人は、よく相手を観て、話を聞き、なすことを知り…一つ一つのピースを組み上げてその人の姿を形作って行くと思います(1つのピースで全部崩すこともありますけどね[にこやか])

それらの行為は、広義的には“近づく”行為と言えますし、完全には組み立てられないことを理解しつつ、その人のピースを組み上げていくことは“枠にあてはめる”行為と言えます。

お題への俺の回答は「両方」です
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るるあ

るるあ

どちらも違う
全て自分の内側
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春蕾

春蕾

理解してるように思ってるだけだと思う。
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サト

サト

理解することで近づくこともあるけど離れる理由にもなるし
枠に当てはめるというより枠を広げてる気もする

たぶん「理解」って
「対象を見るレンズのピントを調整すること」
なんじゃないかなと思う
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トリア🐕

トリア🐕

自分の枠はたかが知れてる
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冷泉院ラグドメゼギス

冷泉院ラグドメゼギス

自分の枠に当てはめること、と考える。

例えば「ピクルスとはなんぞや」。
答えるとしたら「日本で言う漬物」になり、漬物という自分の枠に当てはまったことで「概ねどのような存在であるか」が判明した。
これは理解と呼べるのではないか。

他者の思考、思想、言動に対しても、自分の枠に当てはめた上で取り扱うからこそ肯定や否定、拒絶は可能である。
理解は即肯定ではない。

故に、理解を「相手に近づくこと」と定義するのもそぐわないと考える。
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正宗(ろー)

正宗(ろー)

ストーカーを扱ってみます。

ストーカーは、相手を偏執的に良く理解しています。
それこそ盗撮やゴミを漁ったりで、一般的な友人や恋人よりも、相手の情報を多く得ていると考えられます。

しかし、関係線が見えていません。

自分→相手に関しては、好意、愛、執着、所有欲があり、
相手→自分に対しては恐怖、警戒、不快、危機のように、
彼我での『関係線』の認識に大きな乖離があり、かつ、本人にはこの非対称が見えていません。

┈┈┈

人間関係は、
▸ 個(相手)━個(自分)
と認識しがちですが、実際には、
▸ 個(相手)━関係線━個(自分)
のように、間に関係線が存在しているが、これが不可知になっていることが多いと考えます。

関係線とは、
関係性とは異なり、親子関係、上司部下関係、人間と人間、イスラム教とキリスト教、自国と他国、自文化と多文化、哲学観と哲学観、議論認識と議論認識…𝒆𝒕𝒄.
のように、彼我の状況にあるときの、いろいろな関係の束です。

例えば上司と部下だと、仕事中は仕事の関係になり、そこに上司と部下の関係があるかもしれませんが、
仕事以外の時間にはこの関係は無くなり、同時に仕事という枠内でも、人間と人間という関係は併存しています。

にも関わらず、多くの人は『自分が認識する関係』に縮約して彼我の関係を捉えることが多く、その人の認識において後景化している部分の関係線は透明化していて、ここから不和や軋轢が生じることが多いと考えます。
☛彼我で同じ『線』を共有していないのに、自分は自分が認識している『線』を前提にコミュニケーションを行う傾向が強い。

┈┈┈

理解とは、ノード(個)に基づいて、自己が判断・評価するとか、相手ノード(個)の価値感や思想を理解するだけでは足りず、
透明化している関係線の束を知覚し、彼我とどれだけの認識差があるかを理解するために試みる努力の質と量に『現れる』と考えます。

つまり、理解そのものは主題ではなく、人間と人間は理解することが困難であることを自覚しながら、彼我が見ているものがどれくらい違うのかを探索することが大切で、この営為のベクトルそのものが理解するためのプロセスと考えられます。

┈┈┈

同じ発言、同じ内容でも、その言葉を言われることで快・不快が異なるのは、関係線の束に依拠するものと考えられます。

自己から相手に好意や
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