経験は人を成長させるのか、それとも偏らせるのか?
経験がある人の意見って説得力があるけど、たまに「それだけじゃないのに」と思うこともあります。
経験ってどこまで信用していいんだろう。


たまにポキっと骨が鳴る
暗黙知を本能的に理解しているから経験知では伝え切れない部分を補おうとする
それを理解して互いに歩み寄れたときに成長するのかもね[照れる]

コーユー
そもそも経験は、限られた条件の中で得られる“偏ったサンプル”です。だから、経験を積めば積むほど、ある方向に偏っていきます。
ただ、それは悪いことではありません。
成長とは、ある軸に沿って意図的に偏っていくことでもあるからです。例えばスポーツ選手が競技に打ち込むのは、まさにその典型です。
一方で、経験にはバイアスがかかります。そしてそれを疑う側の「それだけじゃない」という見方にも、同じようにバイアスがあります。
だから大事なのは、経験をそのまま信じることでも、否定することでもなく、「どの領域で通用するのか」を見極めることだと思います。
そのうえで、自分の実践を記録し、比較しながら判断していく。ただし、そのデータの取り方や解釈にも偏りがあることは忘れずに。
経験は万能ではないけれど、無意味でもない。
うまく扱えば、ちゃんと力になるものなのではないでしょうか。

すずめ
こんな事もあったよって話すくらいでちょうどいいのかも。

シフ
人間は偏見を持つ生き物、だけど偏見って悪いことだけではない。(通常は悪いことにしか偏見って言わないけれど)
このパターンはこう、と色眼鏡で見ると思考は早いんだ。経験というのはより『正解の確率が高い方向性』に思考を偏らせて行くもの。
ただし、『別方向の経験』を積むと異なる方向性を同時に持とうとするので、この場合は偏りには見えにくくなるが、2種類の色眼鏡を掛けかえて見るので遅い。

matsu
少ないほど思考を偏らせずらいが、単調で浅慮な思考になる。
偏った思考にならない為には経験をどう解釈し活用するかだと思う。「自分の経験は一例かもしれない」と前置きに考えるのも大切。

カワウソ
別に偏ってても成長は成長だと思います。
ただし、
他者にその経験をもって働きかけるには、その経験を分解して、再現性と普遍性を確保する必要がありそうです。
たまたま環境が良かった。たまたまタイミングが良かった。
といったこともあると思います。
では、どうすればその環境を再現できるのか。どんなタイミングだったら上手く行くのか。
単に経験だけを語って、お前もやってみろ。というのはあまり頼りにならなさそうです。
もちろん個人の特性などもあるので誰にでも当てはまる完全再現可能!とまではいきませんが、なんかその辺をいい感じにするのが重要になりそうです。

ラズー

jwB
何を感じて自分中心に考えるのか
相手を思い行動するか
いづれ選択により縁も変わる人生も変化する
人生は意識次第で変えられるもの
人生は変えられる後は自分次第

ひかる
自分のやり方だけが正しかったのか、もっとうまくやれないのか、状況とか場面が変わっても転用可能な手段を持てているのか、などの反省は大事。

夏目
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