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言葉の強さって、どこで決まるんだろう。その場で相手を止める力なのか、それとも時間の中で残り続ける力なのか。

✧̣̥̇𓂃⟡.·幽霞̣̥̇yhuka

✧̣̥̇𓂃⟡.·幽霞̣̥̇yhuka

⑴受け取り手(発した本人でも他人でも)が受け取った時の精神状態でどれだけ「求めていた」または「避けたかった」か
⑵発した本人の地位権力または大多数の賛成
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Noriko

Noriko

両方だと思います
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pophat

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その場で作用する言葉は「心に響く言葉」で、持論ですが「心に響く言葉は記憶に残らない」
とは言え、関係性や状況による1点物で相手の心に届いたのであれば最強ではあるかと
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食パン

食パン

話は変わるかもしれないけど、やっぱりハイコンテクストコミュニケーションは言葉の強さの足しにあまりならないと思っている。情報交換や情緒コミュニケーションの成立=「言葉の強さ」の土台に直結すると思う。
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キラ・ヤマト

キラ・ヤマト

良くも悪くも、その言葉を発する奴との関係にあると思う
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甘んじる

甘んじる

強いて言えば「キャッチーさ」になるのかな。瞬発力のある言葉にしても持続性のある言葉にしても、目(あるいは耳)と脳に残らない事にはまず土俵に上がれないだろうから
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くちく

くちく

気付かされる言葉は強いと思う。

普段生きてると取りこぼすことを拾う詩人の言葉も、性の境を越境している女装家の言葉も、世の中の常識を理解しきれていない子どもの言葉も、共同体にいては気付けないから、強度を持っている。

言わば、言葉の強度は共同体外からの脅威でもあり、その点シャーマンやイタコ、芸能民の言葉もありがたい反面、周縁に置かないと怖くて仕方ないのだ。
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j

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絶対的な指標として言葉の強さは無い、という主張を前提に、少し掘り下げていきましょう。今回はこの議題に対し、その強さの最高峰は「時代精神」になる、という主張をさせてもらいます。
上述の前提を置くと無論、次の検討材料としては「相対的な言葉の強さ」を見ることになっていくでしょう。そしてつまり、それはどれほど人類史に影響するワードであったか、ということが相対的な指標になる。そこに良し悪しはありません。ヒトラーもキリストもマルクスも、そして私のような凡人の言葉にも結果論的な善悪しかついてこない。つまり、この議論を先に進めるには絶対的善悪が存在しない、という前提に立つことが必要です。つまり時代精神であり、それは人類の方向性を左右する言葉こそ強い、という相対的指標の上に言葉を載せることができるわけです。であれば、歴史を進める時代の精神性…例えばその時代の方向性を左右する言葉。それが最も相対的に強い言葉であると考えます。無論、言葉の強さといった概念が存在しない、という批判をすることは非常に簡単であり、自分も本来その立場側でものを考える人間ですが、時代精神となる言葉は結果的に歴史を動かし、人類の方向性を左右します。であれば、時代精神というのが歴史学的には整合する回答であると自分は考えます。むろん、哲学的には批判するべき所だらけですが。
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レンリ

レンリ

強弱ってより自分に選択権委ねられてないよなって思うなぁ、結局それぞれの主観でしか無いよね
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おさかな

おさかな

言葉自体には強さはないと思ってる
言葉が強さを持つのは聞いた人の状況による
だから多くの言葉を聞き自分の中にストックしておいて必要な時思い出せるようにしておく
その言葉を他人に使うにしても自分に使うにしてもその時に言葉は強さを持つと思う
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