共感で繋がるSNS

議論の「決着」は、当事者間だけで完結し得るものか。

先日、あるテーマで議論をしていた際、互いの前提や論理の進め方が食い違い、平行線のまま幕引きとなりました。 一方は論理的な整合性を重視し、もう一方は感覚や別の価値観を優先する場合、当事者間での「決着(合意や納得)」はそもそも可能なのでしょうか。それとも、議論の正当性や成否は、常に第三者の客観的な視点に委ねるべきものなのでしょうか。皆さんの考えをお聞かせください。
よつき

よつき

並行線という結果に辿り着けたらそこで一旦は決着してるので、当事者間での議論は終わり

合意や納得しないといけないわけじゃないし、並行線を許すことが多様性だと思う
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正宗(ろー)

正宗(ろー)

こちらの絵で説明できると思います。
この絵は何に見えるでしょうか?

議論という語彙も同様に、この性質を持っていると説明可能です。

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多義語とは別に、モダリティという概念があり、議論を勝ち負けモダリティ、対話モダリティ、精緻化モダリティ、不可知の探索モダリティ…𝒆𝒕𝒄.と、
議論がツールだとしたら、そのツールをどのように使うか、使いたいかが個々に差異があります。

なので、議論の定義を置いたところで、この問題の根本解決ができません。
(人によってはその定義は妥当でないという別の議論が生じる可能性がある)

ここはウィトゲンシュタインの言語ゲーム、ゴフマンのフレーム、ハーバーマスの的行為の理論で説明されています。
(文字数の都合でそれぞれの説明は省略させていただきます)

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別の例えだとGravityが使えます。

GravityをやさしいSNS、裏のSNS、無料のマッチングアプリ、匿名を利用して他者を誂うネット掲示板、自分専用の愚痴吐き場…𝒆𝒕𝒄. 認識が様々です。

運営はGravityを『やさしいSNS』と位置付けていますが、この定義を置いたところで、やはり個々の認識にはズレが生じます。

…といった仕組みがあるので、不毛な議論が大量に生じる可能性に満ち満ちています。

私は議論そのものは否定しません。
ただ、豪華客船が氷山にぶつかることが分かっているときに、パーティー会場の椅子の配置やオードブルについて議論することはあまり有益だとも思えません。

議論は始まる前から、得られる結果はほぼ決まっているとも考えられるので、議論そのものよりも、『議論前準備』の方が議論の中身を決めるものになると考えます。

議論よ目的や意義は、お互いの不可知領域を照らし、お互いの知識をかけ合わせることで、ズレの発見や見え方の違い、対象を異なる視点から共同観測することで多角的な解を得やすくする…のように認識しているので、「決着」という概念がそもそも関わってきません。

でも、決着をつけたがる議論の存在も認識はしているので、私は参加しませんが、その議論の形も否定はしません。
(実害があれば個別に対処)

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※添付画像は、カモにもウサギにも見える絵です。
ただ、ウサギにしか見えていない人にはカモの姿は見えていません。
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さく

さく

妥協ですね
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ちゅん

ちゅん

議論の内容にもよると思うけど わだかまりがあると問題
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憂い顔の騎士

憂い顔の騎士

「決着」でなくて「妥協」では、
結局、白でもなく黒でもなく、灰色でおさまるのでは
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サト

サト

場合によると思うけど
職場の方針とか週末の約束とかだと
片方が折れる形であっても合意は必要

ただ思想とか考え方に対する議論であれば
そういう考えもあるんだね
というのもひとつの決着としていいと思う
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