「傷ついた」という感覚は、事実なのでしょうか。それとも解釈なのでしょうか。
たとえば同じ言葉を言われても、気にならないときもあれば、強く引っかかるときもある。
相手は同じでも、自分の状態や関係性によって
受け取り方が変わることもあると思います。
だとすると、
傷ついたという感覚は、出来事そのものに含まれているのか、それとも自分の中で意味づけされたものなのか。
その違いは、どこで生まれていると思いますか?

カワウソ
例えるなら、熱湯を触って反射的に手を引くのと同じです。
言葉で傷つくのと、実際に怪我して傷つくのは同じです。
なぜ同じなのかを説明すると大変ややこしい上に私には正確なことが言えないのですが少し説明してみます。
怪我した時に痛いのは「怪我したから」ではないんです。
怪我をすると感染症など身体にリスクがある。それを本能的に知っているから、神経伝達物質を通して痛みとして感じさせる。
そして生物は、痛かったから今後は気をつけよう。と学習します。
仮に怪我しても痛くなかったら、生物は平気で怪我をしまくって、身体に致命的なダメージを負うことになります。
つまり痛みは防衛本能ということです。
痛みが神経伝達物質ということは、物理的な外傷じゃなくても、同じ物質が出て、同じように痛みが出ることがあります。
「何か言われても何も感じないときもある。」
これも外傷と同じように考えてみます。
例えば、知らないうちに怪我してた!?という経験があるかと思います。それか、打った時は痛くなかったのに、後から痛くなってきた!?とか。
それと同じです。
人間の感覚はあらゆる情報と統合されます。それにはその人の育ってきた環境や経験、生まれながらの性質などによっても変わります。
何が痛いかはその人によって異なります。

ともくりん
システマチックに感情と離して考えるようにするとそういう感覚は少なくなります。
訓練次第で自分の感情的なことは
変えられるようになりますよ

パン

ナトル
こういうのって 忘れた頃にフラッシュバックのように現れるからとても辛いんですよね

きのこ
例を挙げると、
1.卵 2.鉛筆削り
1.卵
自分の未熟さに毎日苛立っている時、
卵、青い、若い、発達途中…等の単語に合うと、
別の意味に受け止めてしまって「私を馬鹿にしているのか!」と傷付き、激昂するくらい受け止め方が変わります。
2.鉛筆削り
また、日頃からピンクな話題が頭を占めていると…
鉛筆削りですら、穴と棒…つまりは男女の交合を想起させるとして、憤慨する様です。
日頃触れる情報、話す言葉…こういうのが積もり積もって受け止め方が変わる、とな。
正語戒、というのはこういう事にも関わっているのかもね。

憂い顔の騎士

夏目
同じ言葉を言われたとしても、自分の精神状態や、言い方やその場の状況や言った人との関係性によって、私の中では結構捉え方が変わります。
加害者側の「傷付けた」は事実、被害者側の「傷付いた」は出来事に基づいた解釈かな。
言われた側が「傷付いた」のなら、言った側が「傷付けたこと」は、事実となると考えます。

よん

ラズー
人間、感覚はひとつだけで完結するものではなく、2つ、3つくらいくっついて自分でも理解できない形になります。
だから難しい。

pophat
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