まず、暫定的な自分の答えとして「科学・言語の前提として要請され、その役割に応えようと努力する行為全般」というものを置いておきます。たとえば古代ギリシア哲学において、哲学はやはり科学の前提としてしばしば要請された、という解釈ができます。この立場はデカルトに確立され、科学することの前提として哲学が存在することを要請されている、という理解がおよそ的外れではないことを示唆します。そして言語について、これはウィトゲンシュタインやソシュールが例となり、言語利用における妥当性の検証もまた哲学が行っている示唆としては十分と考えます。言語についてこれがウィトゲンシュタインから始まるものか、それ以前から哲学は言語の妥当性を保証する前提たるものなのか、という疑問は一旦本筋ではないため割愛させていただきますが、逆に考えれば言語と科学の前提に立つ、という解釈はある意味哲学とは前提としての機能しか持ちえない、という言い方をできてしまうことにもなります。この主張はいささか乱暴ですが、自分として主張したいことは「高尚なものでなく、前提として要請され、確かに必要性があるもの」という解釈が哲学の意義に近しいと考えています。批判や反論、発展性を持たせた議論などがあればコメントいただけると幸いです。