ある常識を疑って見た時に、見えた景色を教えてください。
さんかく

風の音
「交通法規を守る」という常識を破ったとき見えた世界は、「ワープ」でした。
人の視界は、立ち止まっているときは約200度まで見えるそうですが、速度が上がるにつれて視野が狭くなっていきます(教習の本にも載っていたはず)。
250キロくらいだと、視野が20度くらいになり、景色はトンネルみたいに細くなります。
さらにここからトンネルにはいるときは、針に糸を通すような見え方…
常識を外れて見える世界は「いわゆる普通」の景色とはまったく異なる景色です。

正宗(ろー)
夢から覚めたときの景色が見える。
人間は無数の入れ子状の白昼夢の中に閉じ込められており、世界が開かれるほど偏見や常識という白昼夢から解放される。
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[星2]深掘り
人間は直接世界を捉えていない。
科学も同じだが、観測行為に依存して、その観測に見合った事象が〝現れる〟という構造を取る。
光を観測する際も、ある観測行為によっては『波』が観測され、ある観測行為によっては『粒子』が観測される。
つまり、観測は万能ではなく、ある観測というフレームを使った時点で、その観測で得られる結果は固定される。
人間の認識も同様で、不可知の観測フレームを用いているので、同じ事象を観測した場合であっても、その人の観測によって見えるもの、見えないものとが異なるため、この仕組みにより認識や解釈には大きな個人差が伴う。
私達が『世界』と認識しているものも、情報と情報とが衝突することで『像』を結び、その結ばれた像を観測したものが、本やメディア等の媒体で発言し、あるいは映像を見て、あるいは見聞きして…
❶このようにして結ばれた『像』を連続的・離散的に見つづけてきた結果、
❷点と点を結んだ形のものから自己イメージを作り上げ、
❸人間が『世界』と認識しているものの実態は、本質は自己イメージで、
❹その自己イメージを見て世界だと認識している構造になる。
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科学の領域では、観測に紐づいた現象しか得られないことは自明だが、
人間は自己の観測による解釈は透明化する傾向が強いため、
自己という観測フレームに対して懐疑的態度を置かないし、かつ、実際には自己の観測フレームによって得られた解(認識・解釈)は強い指向性を持つのに、そのことも自覚できない。
人間は、不可知的に、あるいは無自覚的に、観測行為を行っているときは、
双眼鏡、望遠鏡、赤外線ゴーグル、顕微鏡、X線、工学装置、エネルギー観測装置…𝒆𝒕𝒄.
と、自己では認識していない観測装置を用いている。
同じ事象を扱うときでも、観測装置依存で『得られる現象』が容易に変わってしまう。
つまり、個体ごとに『見え方』が変わるのは正誤ではなくて、両方とも『正』になる。
異なるのは個体ごとの観測装置ということになり、ここに議論のズレや夫婦喧嘩の原因がある。
司法は、観測装置を国家が定めたものを利用することで、観測装置の

夜の魚
或いはこの世界が5分前に誕生したとしたら?5分前仮説では一切合切が矛盾なく連続した記憶、情報も一緒に生成されると言う仮定があるならやっぱりこの世界が5分前に生成されたことなんて誰も知り得ないし気づけないし証明なんてできない。
杞憂と言われればそれまでだけどふとこの考えに至ったとき急に足元がふわふわしたような、世界から自分だけが切り離されたような、すべてのことが実感がなく感じた。だから宇宙空間と例えようとしたけど、正確に言えば伽藍洞で広大無辺で寄る辺のない空間が見えた(感じた)。

ラララ

罪
・会社に髭、長髪はしてくんな→8割が裏切る様に生やしてくる( しかも周りが面白がるから許容される。)
若手には厳しく、立場が高いと許される。
『酒は百薬の長』等言った輩が良い例かもしれない【かつての中国なんざ歯向かえば死罪】だし。
・そういう矛盾した輩には『心の底で見下し』てますから。人に強要して自分は破る。そういう輩や場面を数多見てきた。

ラズー
渋谷のスクランブル交差点の真ん中に裸で立たされた感じ。
常識の擦り込みが激しいほど、恥ずかしさは増す。

パン

