命に触れた時の感覚はどう言語化出来るか?そもそも言語化が必要か?

冬寂

ゆー

ひろ✨
斜め下からの回答失礼しました。

🍡

夏目
命は体温だと思う。

ふー
後に言語化できるとは思います。
ヤバかった、凄かった、悲惨だった、悲しかった
等の感想としてか、状況によりますがギャーとかうわー、誰か助けてーぐらいだと思われます。
誰かに伝える必要が無ければ言語化は必要ないかもしれません。
私は凄い衝撃的な事は言葉に出来ない
言葉の壁を越えるから

しんや
外郭として、我らの五感はセンサーとも道標ともなりますが、本質に触れている実感はありません。

宵花月
言葉にしようとした時点で、すでにずれてしまう。
触れた瞬間には、
名前も意味もまだなくて、
ただ在るだけのものだから。
だから、本来は
言語化しないほうが正確だと思う。
それでも言葉にするのは、
必要だからというより、
残さずにはいられないからだと思う。
触れたものそのものは残らない。
だからせめて、
ずれてしまった形でもいいから、外に置く。
言葉は、再現じゃなくて、
触れたあとに残る痕跡なんだと思う。
儿(じん)
因みに、自分は身内の赤子のほっぺを触った時は食べたことないのに水饅頭かと思った。

サト
バイクでコケた時の「死ぬかと思った」
これは言葉では言い表せない
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