何を根拠に「私」と定義できるのでしょうか?
私は、私というものは自分以外の存在がなければ定義しにくいのではないかと感じています。
もしそうだとすると、私は私だけで成立しているものではなく、他者や環境との関係の中で成り立っているのではないでしょうか。
また、身体で考えてみても疑問があります。
例えば爪は自分の一部ですが、切った瞬間それは「私」ではなくなるのでしょうか。
では身体のどこまでが私なのか。
身体、記憶、意識、関係性など、いろいろな要素があると思いますが、
私たちは何を根拠に「私」と言っているのでしょうか?

ワニ
自分とは何かという永遠の議題に陥った時、私は最終的にこの言葉に辿り着きます。そしてまた何度も議論します

とも

フレム・チェンバース

明

BEVEL(べヴェル
すでに私の箱の蓋は私が開けているから

若
『コギト・エルゴ・スム』
ではないでしょうかねぇ~😊✨

コーユー
まず思いつくのは、記憶による連続性です。少なくとも「少し前の自分」と「今の自分」がつながっている必要があると思います。記憶を失っても、「ここはどこ?私は誰?」と感じられるのは、直前までの自分についての何らかの記憶が残っているからではないでしょうか。
では、記憶だけでよいのか。私はそうではなく、意識も必要だと思います。
ここで「我思う、ゆえに我あり」を思い出します。ただ、私は「思う」だけでなく「感じる」も加えたいです。言語的に考えることだけでなく、痛みや喜び、目に入ったものなどを「自分の経験」として感じることも、「私」だと思うからです。
さらに「我」を分解すると、情報の受信と発信に分けられるのではないでしょうか。行動の発信には無意識的な処理も含まれますが、受け取った情報を「自分の経験」として感じる側こそ、「私」のコアなのではないかと思います。
そして、人間にはさらに「私」という概念を理解する知能があります。「私はこういう人間だ」「私は今こう感じている」と、自分自身を対象として捉えるメタ認知です。
動物にも、自分の身体の位置や行動、受けた刺激などを認識する「自己に関する感覚」はあると思います。ただ、人間のように「自分が世界の中でどう見えているか」という自分自身の像を外部から捉えたり、それを「私」という概念として理解したりできるかは、別の問題だと思います。
以上から、私は「私」の最小構成要素は、①記憶による連続性、②自分の経験を感じる意識、③自分自身を捉える知能(メタ認知)の3つではないかと考えています。

シロ_チYa╭☞⒩

むかで

ふー
もっとみる 







